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岡潔博士の「情緒」切々と♪占部教授の講演に感激

世界的超1級の数学者で和歌山県橋本市の名誉市民である岡潔(おか・きよし)博士(1901~78年)の顕彰講演会が、12月9日、橋本市教育文化会館大ホールで開かれ、中村学園大学の占部賢志(うらべ・けんし)教授が「日本的情緒とは何か~岡潔先生の教え~」と題して語った。
橋本市岡潔数学WAVE主催、橋本市教育委員会が共催、橋本市や高野山麓・橋本新聞などが後援した。
占部教授は昭和25年(1950)福岡県生まれ。九州大学大学院博士課程修了、長らく高校教諭も務めた。岡博士は京都帝国大学に学び「多変数函数論」を発表。世界3大難問を1人で解いた超天才。文化勲章受章者。
この日、舞台スクリーンに展開する、岡博士や貴重なエピソードの古写真を指さしながら、誰にもわかるように、歯切れのいい言葉で、「日本人の情緒」について説明。大学生の頃、福岡に来た岡先生の講演を聴き、著書「春宵十話」にある「数学者はお百姓さん、物理学者は指物師」という言葉に驚いた。お百姓は無いものを生み出す、指物師はあるものを加工する。だから「花が咲くところに、種を持って行って撒く。これが数学だ」と思ったと語る。
学生が「心の拠り所として何を求めたらよいのか」と尋ねたのに対し、岡先生は「理に尽きたもの、崇高なもの、悠久なものを求めるべきです。なかんずく崇高さに対する感受性をセンシブルにすることです。…日本には『美しいなあ』という死に方をする人が沢山いる。そういうものをお読みになるのが理想的です」と答えた。
著書「日本人とは何か」の中では、岡先生は松尾芭蕉の「秋深し隣は何をする人ぞ」という俳句を挙げ、「襖(ふすま)一枚を隔てた旅人にも、日本人は懐かしさを感じる」ことを指摘。
文芸評論家・小林秀雄氏との対談集「日本の建設」の関連では、妻とケンカして散髪に行き、髭を洗っている際、数学の難問解明の糸口がひらめいたが、すでに世界の数学者がある程度までの論文にまとめていたこと。ところが、考えに考えた末、もうたまらず眠くなった瞬間、難問が解けたことを紹介した。
小林氏が「その時、どんな感じがした」との問いに、岡先生は「閉ざされていた何10枚という障子が、すべて一気に開いていく感じだよ」という意味の答えをしたことを説明。さらに小林氏は「発見は数ですか、言葉ですか」と問えば、岡先生は「数や数式ではなく言葉です」ときっぱり。
占部教授は「眠くなるまでやれば、インスピレーションが働くのだと、岡先生から教わった」「数学者であると同時にすぐれた詩人なんです」と強調した。
また、平成7年(1995)の阪神・淡路大震災で家族を亡くした大勢の子供たちが、ポーランドで撮影された写真を紹介しながら、ポーランドが18世紀から隣国により消滅・復活の歴史を繰り返し、20世紀初めには、日本政府の力で、シベリア抑留の孤児765人が、東京・大阪を経て本国に帰ったことを紹介した。
例えば、シベリアにいた日本赤十字の松沢フミ看護師が、全身凍傷、腸チフスで間もなく命尽きようとする孤児(5歳)を抱きしめて眠る。その朝、孤児は奇跡的に息を吹き返したが、松沢看護師は普段の労苦により、すでに息絶えていた。「松沢さんは日本人の情として、この子供を一人ぼっちで、死なせられなかったのです」と言い、ポーランドはこのことを忘れず、日本の被災児童をやさしく招待したのだと語った。、
満席の会場は、しーんと静まり返り、やがて熱い心のこもった拍手が起きていた。
開会式の冒頭、木地茂典(きじ・しげのり)同WAVE会長は、「当会の発足10年」「岡潔顕彰 囲碁・将棋大会は2回目」などを説明して、市民協力に感謝。また、占部教授の著書から引用し、「高校の駐車場を見て、整頓されていなければ、いくら偏差値が高くても、先生も生徒も乱れています」と開会挨拶した。
最後に奥村浩章(おくむら・ひろあき)副会長は、占部教授に謝辞を述べるとともに、「岡先生のふるさと・紀見峠に、岡先生の言葉『人を先にして自分を後にせよ』と刻んだ顕彰碑や、『情緒の道』という標識を立てました。人は何のために生きるのか、後世につたえなければならず、岡潔先生の記念館の一日も早い開館を願う」と訴えて締めくくった。
写真(上、下)はスクリーンの写真を見せながら岡博士の解いた「日本人の情緒」を軸に話す占部教授。写真(中)は演壇でマイク片手に講演する占部教授。


更新日:2018年12月10日 月曜日 00:00

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