ニュース & 話題
紀の川岸・喫茶店「サン」閉店~顧客に惜しまれつつ
高野山麓の紀の川を一望できる、和歌山県橋本市橋本の喫茶店「サン」=津守美千子(つもり・みちこ)さん経営=が7月末に閉店し、有名店46年の歴史に幕を下ろした。多くの顧客から「山河を眺めながらの喫茶・飲食は、至福の時間だったのに」と惜しまれている。
同店は昭和47年(1972)7月、元内科医院の和洋折衷(せっちゅう)のモダンな建物を改築オープン。JR・南海「橋本駅」から、徒歩わずか5分程度の紀の川北岸沿いで、国道24号のすぐわきにある。
店舗は60席。南面は広々とした透明のガラス窓で、その外側には紀の川・橋本橋や、高野参詣・黒河道(くろこみち)を含む山々、南海電車が往来する赤い鉄橋などが、四季折々の詩情を帯びて、パノラマ状に展望できる。
この大舞台の歴史は、木喰応其上人(もくじきおうごしょうにん=1536~1608)が、豊臣秀吉の高野山攻めを防ぎ、紀の川に架橋、塩市や舟運を開き、橋本繁栄の基礎を築いたこと。
また、日本女性初のオリンピック水泳金メダリスト・前畑秀子さん(1914~95年)や、名高い潜水泳法の金メダリスト・古川勝(ふるかわ・まさる)さん(1936~93)=いずれも橋本市名誉市民=を育んだ大河である。
さらに紀北名物「紀の川まつり」は、昭和23年(1948)から平成24年(2012)まで、同店前の流域で開かれ、毎年、お盆には灯籠流し&打上げ花火で先祖供養したことが、市民の思い出となっている。
とくに前畑さんや古川さんは、この河畔で生まれ、前畑さんは近くの〝妻の浦〟の岩場から颯爽とダイビング、古川さんは自宅前~橋本橋間の同川を1日3往復するという猛練習ぶりだった。
橋本市民は、いろいろな〝橋本物語〟を心に抱きながら、この喫茶店「サン」で家族や友人らとともに歓談。電車またはマイカーで訪れ、立ち寄った遠方の一元さんも、長大な屏風に描かれたような山河の光景に癒されてきた。
喫茶店「サン」最終日の7月31日は、大勢の顧客で満員になり、「ここから紀の川まつりの灯籠流しや、ナイヤガラの滝の花火などを眺めました」「鉄橋をわたる電車の写真を必死で撮りました」「昔は沢山の川魚が泳いだり、白鷺が飛んだりしていて、とくにアユ釣り風景が思い出されます」などと述懐した。
津守さんは「主人が病気療養中のため、やむを得ず、店をたたむことに決心しました。これまで大勢のお客様に愛されて、心から感謝しています」と話し、絶景・紀の川については、「繰り返される台風豪雨により、再三増水して土砂が堆積し、水流や岩場の風景が変りましたね。私が子供の頃は、材木をつないだ長い筏(いかだ)が、豊かな水に乗って流れてきて、私は橋の上から喜んで眺めたものです。やはり美しい昔の紀の川に戻ってほしいですね」と期待した。
FMはしもと報道部長の中野豊信(なかの・とよのぶ)さんは、「あの野口雨情が、橋本民謡として作詞した紀の川です。閉店は残念ですが、多くの人々が昭和、そして平成と、この窓から紀の川を眺められたことは、とてもよかったと思います」と目を細めていた。
「橋本民謡」=野口雨情作詞
紀州 紀ノ川 橋本あたり
筏流しは 唄でゆく
月は山端に 紀の川べりを
啼いて渡るは ほととぎす
見たか 応其寺 橋本名所
門の柱にや 弾丸の痕
忘れなさるな 紀の川筋にや
名さえなつかし 妻の浦
夏が来たなら 紀の川筋の
鮎は若鮎 瀬をのぼる
名残とどめて 一本松は
昔しのばす 御殿浦
写真(上)は喫茶店「サン」の窓から見える紀の川・鉄橋を渡る南海電車。写真(中)は紀の川・岸壁付近に建つ喫茶店「サン」。写真(下)は喫茶店「サン」の南側窓辺から見える真夏の山河。