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高野山の尼僧、性善寺創建へ♪性的少数者駆け込み寺
高野山真言宗の尼僧で、性同一性障害を見事克服した柴谷宗叔(しばたに・そうしゅく)さん(63)は、実家の大阪府寝屋川市成田西町に、LGBT(性的少数者)の駆け込み寺「性善寺(しょうぜんじ)」の創建準備を進めている。柴谷さんは今年度中の完成を目指しており、「LGBTなど、何ら問題ありません。ぜひ、その苦悩から、皆様を救いたい」と張り切っている。
柴谷さんは昭和54年(1979)早稲田大学を卒業。読売新聞記者を経て、平成17年(2005)高野山無量光院で得度。高野山大学大学院修了・密教学博士。華道高野山皆伝、司教・高野山布教師、高野山大学委託研究員。
柴谷さんは「心は女」なのに「体は男」として誕生。心身について、「何かおかしい」と感じたのは、小学校低学年の頃。心は男子のサッカーや野球に馴染めない反面、無性に可愛いスカートをはきたかった。その心を見抜かれていたのか、父親には再三「男は男らしくせよ」と叱責されたという。
それでも「私の心は女なのに」と、煩悶を重ねながら社会人となり、とくに新聞社では政経部の記者時代、心と正反対のスーツ&ネクタイ姿で、紳士的に財界人の取材に当たらねばならない。仕事とはいえ、「心を押し殺して、男の振りをするのが、とても大変だった」と述懐する。
とくに思い出すのは、平成3年(1991)、一番札所の那智山・青岸渡寺参拝の機会を得て以降、西国33ヶ所や四国88ヶ所を巡礼。まさに遍路姿に男女の別はなく、遍路宿で「お姉ちゃん」と言われると、「うれしくて仕方がなかった」という。
僧侶になった一番の動機は、平成7年(1995)1月17日の阪神・淡路大震災で、神戸市東灘区の居宅が全壊したこと。たまたま柴谷さんは、寝屋川市の実家にいたので無事だったが、後日訪れると瓦礫(がれき)の下から、ボロボロになった巡礼時の納経張を発見した。その瞬間、「お大師様(弘法大師・空海)が、身代りになってくれた」と、深く仏心を感じた。
お礼参りで四国巡礼の際、今度は遍路仲間に誘われて、高野山大学大学院で仏教を学ぶことになり、平成17年(2005)には、51歳で自ら退社して、その退職金で全壊家屋などのローンを返済。いさぎよく剃髪して出家し、平成22年(2010)には性別適合手術を受けたうえ、戸籍や僧籍を男性から女性に改めて、高野山初の尼僧となった。
「性善寺」の寺院名は、悉有仏性(しつうぶっしょう)という「性善説=誰でも仏様になれる素質を持っているという教え」から名付けた。柴谷さんは、性的指向や性自認などで苦しむ人々のために、「それは問題ない、それは善である」と導いていくという。
「性善寺」は母の住む実家の離れ(約30平方メートル)を大修築。本尊は大日如来、脇侍に不動明王、弘法大師像を祀る。その目的は「LGBTの駆け込み寺」だが、子孫のいない人々の「永代供養の寺」、さらに「関西の巡礼の拠点」にして、高齢者の不安解消や、真言密教の素晴らしさを広めたい考え。
今回の「性善寺」創建には、総事業費約1400万円が必要で、柴谷さんは「できれば御寄進をお願いします」と訴えている。ご寄進は「性善寺」のホームページhttps://shozenzi.jimdo.com/で。
◇柴谷さんの主な著書=「公認先達が綴った遍路と巡礼の実践学」(高野山出版社)、「江戸初期の四国遍路―澄禅『四国辺路日記』の道再現」(法蔵館)、「四国遍路こころの旅路」(慶友社)など。
◇LGTBとは=レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(出生時に診断された性と、自認する性の不一致)の頭文字をとった総称。
写真(上、下)は高野山・奥の院の御茶処で講話中と講話後の柴谷さん。写真(下)は講話の合間の柴谷さん=奥の院・水向け地蔵の前で。