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電飾メタセコイヤに喝采♪車のカップル・スマホ撮影
和歌山県橋本市東家区の旧・橋本小学校跡に聳え立つメタセコイヤをイルミネーションで飾った、区民組織「東家しんし会」50周年記念事業「王様の木の下で」の光景が、「実に素晴らしい」と多くの市民から称賛されている。とくに同小学校跡は、紀の川北岸の舌状台地(ぜつじょうだいち)で、弥生・古墳時代から現代に至るまで、大勢の先人が暮らした大舞台だけに、卒業生の思い出はもちろん、独特の歴史的趣(おもむき)を呈している。
同小学校跡地は、北の愛宕山側から、南の紀の川側にかけて、怪物が巨大な舌をペロリと出したような形の「舌状台地」で、「舌の厚み=高さ」は約20メートルもある。
その運動場の地下からは、すでに弥生時代の方形周溝墓(ほうけいしょうこうぼ)や、古墳時代の竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)跡、南北朝時代の守護相当の武士が派遣された要塞(ようさい)・東家館(とうげやかた)跡などが発掘されており、ここに暮らした人々の末裔(まつえい)の数は計り知れない。
話題のメタセコイヤは昭和16年(1941)、植物学者・三木茂(みき・しげる)氏が、世界で初めて橋本市内で、その化石を発見。後に中国原生とわかり、日本では「戦後復興のシンボル」として全国各地に植栽。橋本小学校では昭和30年(1955)頃、校庭に植えられ、今は高さ約26メートル、枝張約10メートルに成長している。
小学生時代、このメタセコイヤを「王様の木」と呼んで成長してきた、地元区民でつくる「東家しんし会」の実行委員会=下松谷正造(しもまつや・しょうぞう)委員長=は今回、メタセコイヤの梢(こずえ)にブルーの大きな星型の電飾を施し、そこから沢山のケーブルを滝のように垂らして、ブルーやイエロー系統の、きらきら輝く約1万個のLED電球を取り付けた。
11月27日には堀畑明秀(ほりはた・あきひで)会長や平木哲朗(ひらき・てつろう)市長ら、関係者が集まって点灯式。その後12月25日(日)=午後5時頃~同9時頃=まで連日点灯し、日曜日にはコンサートなどのイベントも予定している。
そのメタセコイヤの電飾風景は、旧・大和街道沿いの路地はもちろん、世界遺産・黒河道(くろこみち)入口付近や、愛宕山周辺からも眺められる。メタセコイヤのすぐ近くまで車で来て、スマホ撮影を楽しむ家族連れや若いカップルも多い。
「東家しんし会」は来年、創設50周年記念冊子を作製する。会員で写真家の中本義則(なかもと・よしのり)さんは、「あの細い梢で、会員たちが、星形にイルミネーションを灯すのは大変でした。皆さん、いわば素人ですが、その〝手作り感〟が何とも素敵です」と讃え、「このメタセコイヤ、会員が撮影した写真の中から厳選して、しんし会50周年記念冊子に大きく掲載する予定です」と話していた。
写真(上)は愛宕山側の民家2階窓から見えるメタセコイヤの電飾=背景は国城山とその山系。写真(中)は同アップ写真。写真(下)は橋本市賢堂の定福寺南側の世界遺産・黒河道入口から見たメタセコイヤの電飾の光景=背景は金剛山や和泉葛城山系。