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「真田丸」の時代と高野山♪霊宝館で書画や武具展示
戦国武将・真田幸村が蟄居(ちっきょ)した和歌山県高野町高野山の蓮華定院(れんげじょういん)に伝わる書画や太刀などを一堂に集めた秋期企画展『「真田丸」の時代と高野山』が、高野山・霊宝館で開かれている。山口文章(やまぐち・ぶんしょう)副館長は「高野山に遺された品々から、戦国時代の裏側の人間性を感じてもらえたら」と言っている。平成29年1月15日(日)まで。
高野山・霊宝館によると、真田昌幸・幸村(信繁)父子は、関ヶ原の戦いで西軍について敗退し、高野山・蓮華定院に配流。幸村は妻子・家臣を抱えていたため、女人禁制の高野山から山麓の九度山へ降りて蟄居。昌幸は九度山で死去する。
幸村は14年後に嫡男・大助や家臣とともに大坂城へ出陣。城の外堀に出城「真田丸」を築いて、冬の陣で徳川家康方を苦しめ、夏の陣では家康の本陣へ切り込んだが、あと一息のところで、軍勢の差に勝てず戦死。徳川方から「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と言わしめたという。
高野山・霊宝館では、NHK大河ドラマ「真田丸」が放映される中、福形安希子(ふくがた・あきこ)学芸員が、「この機会に戦国時代の高野山と、真田家の歴史を知ってもらおう」と同展を企画。しばらく昌幸・幸村が蟄居した蓮華定院に伝わる真田家ゆかりの品々など計約70点を紹介した。
例えば、真田幸村像の「祖本」とみられる絵画「真田信綱=昌幸の兄=像」。箱書きには徳川天下の御時世の中で「信綱像」とあるが、実際には後世この「信綱像」を祖本として、「幸村像」を描いたものと推察されている。
次に挙げられるのは「真田幸村書状」(焼酎の文)。これは幸村が清貧の九度山生活の頃、左京(兄・信之の家臣・河原左京か足利将軍家縁者の西山左京)に宛てた「焼酎無心(しようちゅうむしん)」の書状。「焼酎を入れた壺の口をよく締めて目張りしてほしい」ことまで細かく注文し、「お礼に湯帷子(ゆかたびら)を差し上げる」という内容。幸村のおおらかな運筆、墨の濃淡、全体のバランスなど、その心の内面が滲み出ている。
他に、伝・真田幸村所持の「太刀(正宗の銘入り・刃長90センチ)」や、同「頭形兜(ずなりかぶと)」、同「轡(くつわ)、附属 ×鏈(くさり)」、「昌幸の馬具」などの工芸品も出展。
高野山・霊宝館では今回、展示品の一部解説と高野山・九度山の真田ゆかりの地を紹介する「みどころパンフレット」(カラー刷り八ページ、1冊100円)も発行・販売している。
福形学芸員は「高野山の塔頭寺院は、多くの宿坊を持ち、大名家は高野山に来ていろんな品々を奉納しています。今回は真田家の菩提寺・蓮華定院に伝わる品々を中心に展示しています。この機会にぜひ、高野山と真田家の歴史を感じてほしい」と話している。
開館時間は10月30日まで午前8時30分~午後5時30分。11月1日からは午前8時30分~午後5時。休館日は12月28日(水)~1月4日(水)。期間中、一部展示替えあり。
拝観料は一般600円、高校・大学生350円(要学生証)、小・中学生250円。障害者手帳所持の方(介護者1人含む)は無料。
問い合わせは高野山・霊宝館(電話=0736・56・2029)。
写真(上)は真田幸村像(真田信綱像)の祖本と紹介する福形学芸員。写真(中)は幸村所持の「轡(くつわ)、附属 ×鏈(くさり)」。写真(下)は幸村所持の正宗銘入り「太刀」と「頭形兜」。