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幸村出陣の足跡探訪へ!紀伊見峠越えトレッキング
戦国武将・真田幸村(信繁)が、大坂城入城の際、閉居していた紀州・九度山から、大坂城へ向けて通ったと推察される〝紀伊見峠越え〟ルートを歩く、「いざ入城!幸村が足跡 探訪トレッキング」が、9月3日(土)と10月8日(土)、和歌山県橋本市観光協会主催で初めて開かれる。同ルートの検証を重ね、人が歩けるよう倒木整理などに働いている橋本観光ガイドの会の森脇稔(もりわき・みのる)さん(75)は、「当時の幸村の心意気をぜひ味わってください」と参加を呼び掛けている。
幸村は関ヶ原の戦いで敗退し、高野山・蓮華定院(れんげじょういん)、さらに紀州九度山の地に閉居されたが、14年後「大坂冬の陣」に向けて、九度山を脱出した。その際、九度山から大坂城に至る最短コースは、何といっても紀伊見峠越えだが、当時、峠には厳しい「関所」があり、この「関所」をその手前で避ける嶮しい道が、「行者道」と「巡礼坂」2コースであったらしい。
今回の「幸村が足跡 探訪トレッキング」では、午前10時に南海高野線・紀見峠駅前に集合。森脇さんや江戸時代の〝幻の畑ごんぼの復活〟を果たした徳田勝治(とくだ・かつじ)さんら、橋本観光ガイドの会の6人が案内。
9月3日は〝検証その一〟と題して「行者道」(約7キロ)、10月8日は〝検証その2〟と題して「巡礼坂道」(約8キロ)を歩き、いずれも午後4時頃、南海高野線・天見駅で解散する。橋本市が雨天の場合は、翌日に順延となる。
例えば「行者道」は、普通の山道から、雨が降ると川のようになる沢状の湿った坂道(約350メートル、幅約3メートル)を登り、さらに滝の岩場(高さ約4メートル、幅2メートル)をロープを握ってよじ登る。杉木立の上にはわずかに空が見え、滝を越えれば、すぐそこで峠越えとなる。
森脇さんは「幸村は修験者だった」こと、「橋本の城山にあった長藪城(ながやぶじょう)城主の末裔(まつえい)・贄川家(にえかわけ)には、『幸村から兜(かぶと)をもらった』とする文書が残っている」こと、「幸村は橋本へ囲碁を打ちに来ていた」ことなどから、「幸村と家来たちは、贄川家の使いの者の案内により、関所の目をくらます最短コースの行者道、または巡礼坂を越えたに違いない」と推察。
根古川(ねこがわ)上流の「行者道」のすぐ近くには、それより遥か昔の1200年前、弘法大師・空海がやさしい龍に支えられて、無事渡ったという伝説の「越ケ滝(こしがたき)」があり、森脇さんと徳田さんら有志は、「歴史的なこの山道を荒廃させてはならない」と考え、昨年10月から倒木を除去、草刈をするなど、山道復活に取り組んできた。今回、NHK大河ドラマ「真田丸」放送により、真田一族物語が注目される中、郷土の歴史伝承を考え、大坂城入城コースの検証・体験を企画したという。
同トレッキングの参加定員は40人で、20~75歳の健脚者が対象。参加費は各回1人500円で当日払い。定員になり次第締め切る。申込み・問い合わせは橋本市観光協会(電話=0736・33・3552)=受付時間は午前9時~午後4時。水曜定休。
写真(上)は幸村が紀伊見峠越えしたと推察される行者道の小滝=「こうして登る」と実演する森脇さん。写真(中)幸村の里の素晴らしさをアピールする「手作甲冑(てづくりかっちゅう)紀州九度山真田隊」=梅下修平(うめした・しゅうへい)隊長=の面々=JR橋本駅で。写真(下)は森脇さんらが修復した幸村がとおったと推察される行者道。