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快晴の「幸村の里」に心和ませ♪和歌山商議所女性会

戦国武将・真田幸村(信繁)と父・昌幸、嫡男・大助ゆかりの和歌山県九度山町の「幸村の里」は、今春一番の快晴に恵まれた3月17日、オープン間もない「九度山 真田ミュージアム」見学や、真田三代が暮らした〝まちなか散策〟など、大勢の観光客で賑わった。
この日、和歌山商工会議所女性会=松田美代子(まつだ、みよこ)会長=の一行25人が、観光バスで来訪。そば処「幸村庵」で昼食の後、語り部・辻眞理(つじ・まり)さんらの案内により、昌幸の住居跡に建つ真田庵や、旧・萱野家(大石順教尼の記念館)、九度山真田ミュージアム、道の駅「柿の郷くどやま」などをめぐり歩いた。
旧・萱野家(大石順教尼の記念館)には、萱野家7代・萱野正己(かやの・まさみ)館長と仙台真田家・信州上田観光大使・幸村14代・真田徹(さなだ・とおる)氏の写真を展示。萱野館長は「幸村はこの家のすぐ南隣に居住、その時の井戸が残っています。真田一族と私の先祖は、かつて共に過ごしたに違いありません」と解説した。
また、館内には養父の狂乱により、17歳で両腕を失くし、やがてその障害を克服、口に筆をくわえて書画を描いた順教尼の作品を展示。「順教尼は高野山で得度、昔、避寒寺だったここに投宿しました。悩み事をもつ方々は、この順教尼の作品に接して、〝これまで何を悩んでいたのか〟と目が覚めて居られるようです」と話すと、感銘を受けた女性たちは、さっそく順教尼の著書「無手の法悦(むてのしあわせ)」を買い求めていた。
表通りの通称「真田のみち」の商店街は、軒先の提灯(ちょうちん)も、旗も吊るし飾りも、すべて「真田の赤備え」の色一色。旧家の軒先に立つ大正時代の陶芸作品「金時」(高さ約2メートル)前では、その凛々(りり)しさに驚嘆。そばの花壇の美しさや、さりげなくベンチを据えた「おもてなしの心」にも心和ませた。
さらに、九度山真田ミュージアムは、煙出(けむだ)しの鯱(しゃちほこ)、門扉や壁に施された真田家の家紋・結び雁金(むすびかりがね)、六文銭も真新しく、一行は門前でにっこり記念撮影。
館内では昌幸・幸村父子が、関ヶ原の戦いで敗退後、高野山・蓮華定院(れんげじょういん)と九度山に閉居を命じられ、昌幸が11年後に逝去、幸村は14年後に大坂の陣に出陣した歴史について、真田シアターやパネル展で、赤裸々に紹介。
昌幸・幸村父子が炉端で対談中の部屋があり、近くの六文銭のいづれかを押すと、いきなり天井の隅が開いて忍者が現れたり、井戸をのぞき込むと、光が差し込んで、何者かが逃走したりするなど、〝どっきり部屋〟も体験していた。
6月には隣の橋本市で近畿商工会議所女性会連合会総会が開催され、橋本商工会議所女性会=向井征美(むかい・まさみ)会長=がサポート。福井県と近畿2府4県から会員女性約500人が訪れる予定。
松田会長は「きょうは真田三代のこと、大石順教尼のこと、九度山のまちの素敵なたたずまい。いろいろ勉強になりました。今年は橋本で〝近畿女性会総会〟が開かれますし、会員個々に九度山を訪れ、改めてゆっくりと学ばせていただきます」と話していた。
写真(上)九度山真田ミュージアムを巡る和歌山市商工会議所女性会の会員たち。写真(中)は旧・萱野家(大石順教尼の記念館)で素敵な作品に見入る同会員たち。写真(下)は「真田のみち」の旧家の軒先に立つ「金時」に驚く同会員たち。


更新日:2016年3月18日 金曜日 00:01

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