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あぁ新酒♪夫婦もにっこり~初桜酒造・酒蔵見学会

弘法大師・空海が開いた高野山ゆかりの日本酒「高野山 般若湯(はんにゃとう)」を醸造する、和歌山県かつらぎ町中飯降85、初桜酒造株式会社=笠勝清人(かさかつ・きよと)社長=で、2月14日、国の登録文化財「酒蔵」の見学会が開かれた。橋本・伊都地方や近府県から約 70人の日本酒ファンが訪れ、笠勝社長や杜氏(とうじ)の案内で、酒蔵の醸造現場をまわり、搾りたての新酒を味わっていた。
同社は1866年(慶応2)、高野山麓の紀ノ川畔に創業。高野山では〝飲酒禁制〟だったが、弘法大師は「塩酒一盃(おんしゅいっぱい)これを許す」と、酒の効用を認め、山上では酒を〝般若湯〟と呼びかえて愛飲。昔、この地方の酒は、すぐ南側を流れる紀の川の舟着場から、酒樽(さかだる)を舟で対岸へ運び、さらに馬の背に乗せて、高野山まで運んだという。
また文献はないが、歴史家の推量によると、戦国時代の武将・真田幸村ら本隊は、大坂の陣出陣の際、九度山側から対岸のここ中飯降へ舟でわたり、蔵王峠を越えて大坂城へ入城したとされ、ロマン溢れるあふれる舞台でもある。
同社は、弘法大師が高野山開創の際、神領を借りた丹生都比売(にうつひめ)神社のある同町天野の名産〝天野米〟などと、和泉山脈の伏流水を使用。笠勝社長と但馬杜氏(たじまとうじ)が純米、純米吟醸酒を造り、同地方や大阪、東京へ出荷してきた。
日本酒は、白米を蒸して麹(こうじ)を造り、この麹で蒸し米を糖化、酵母を培養し、酒母をつくる。これを仕込んで、もろみを仕立て,並行複発酵法(へいこうふくはっこうほう)で、高いアルコール分のもろみを造り、もろみを搾って完成させる。
この日、笠勝社長と杜氏は、見学者を午前と午後の2回に分けて「酒蔵」に案内。電灯に浮かび上がる酒蔵の中で、米と水を浸す〝浸漬場(しんせきば)〟や、米と麹(こうじ)で酒母をつくる酒母場(しゅぼば)、蒸し米を寝かせる麹室(こうじむろ)、むかし使っていた蒸し釜(かま)などを丁寧に説明した。
この後、「高野山 般若湯」と染め抜いた、紺のハッピ姿の従業員らが、搾りたての新酒をコップについで、見学者に〝利き酒〟をしてもらったり、南隣の母屋では大吟醸「亀鶴」、「般若湯」、「しぼりたて生酒」、「秘蔵酒」、梅酒、ミカン酒、桃酒の順に、その出来具合を味わってもらったり。
札幌市出身で橋本市在住の会社員(39)夫婦は「昨年〝しぼりたて生酒〟を実家の母に贈ってあげたら、美味しいと大喜びでした」と説明。「今年はどれにしようかな」という表情で、般若湯や亀鶴などを味わい、楽しいひとときを過ごしていた。
紀ノ川上流の同地方の酒は、昔は「川上酒」と呼ばれ、大正から昭和初期にかけて、33軒の酒蔵があったが、灘・伏見で酒の量産が進むとともに、「川上酒」の蔵元は次々と廃業。今では同社1軒が残り、「川上酒」の伝承に尽力したとして、知事賞を受けている。
酒蔵見学会は、2月21日(日)にも、午前10時からと、午後2時からの2回開かれる。参加定員はいずれも約40人で、2月14日現在、午前はあと14人、午後は同25人の参加が可能。見学無料。申し込み・問い合わせは同社(0736・22・0005)へ。
写真(上)笠勝社長から酒蔵の床に寝かされた麹(こうじ)の説明を受ける見学者たち。写真(中)は仲良く新酒を楽しむ夫妻。写真(下)は酒造りの歴史を感じさせる酒蔵の光景。


更新日:2016年2月15日 月曜日 00:00

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