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みそや呉服店15m家曳き~古里の原風景残したい

JR・南海「橋本駅」前周辺の中心市街地土地区画整理事業が進む中、昔の佇(たたずま)いを少しでも残そうと、9月8日、和歌山県橋本市橋本の老舗(しにせ)で国指定登録有形文化財「みそや呉服店」別館の家曳(いえひ)き作業が行われた。来春には敷地を拡幅市道と同じ高さまで1・5メートル嵩上(かさあ)げして、同別館を曳き戻し、修復・保存されることになる。同店所有・経営者の谷口善志郎(たにぐち・よしろう)さんは「修復保存は大変ですが、郷土の昔の雰囲気を、少しでも後世に伝承したい」と話していた。
同店(別館)は明応4年(1495)の創業・明治16年(1884)の建築で、今は別館だが、もともとは本館(本店)。約250平方メートルの敷地に木造2階建て瓦葺きの母屋をはじめ、上蔵、下蔵、離れ屋敷の計4棟で構築され、母屋は10数年前から「橋本まちかど博物館」として活用、広く知られている。
今回、同区画整理事業で、別館周辺が高さ約1・5メートル埋め立てられ、紀の川・橋本橋北側の国道26号・交差点から、橋本駅前大通りに通じる市道が拡幅される。古い家並みのほとんどは撤去され、新しい住宅に建て替えられたが、谷口さんは熟慮のすえ、別館を取り壊さず保存・修復の道を選んだ。
この日、すでにジャッキで約70センチ持ち上げ、支柱部分にコロをかませた別館を、10本のレール上でコロをかませ、ジャッキとワイヤーロープで〝家曳き〟を行い、約1時間半がかりで東へ約15メートル移動させた。さらに離れ座敷や土蔵も同じ移動作業を実施。半年後には、別館を今より約80センチ持ち上げ、土で嵩上げした元の位置に別館や離れ座敷、土蔵を曳き戻し、屋根瓦を葺いたり、壁土を塗ったりすることになる。
谷口家・口伝(くでん)によると、同店舗は味噌(みそ)を製造し、川舟に積んで紀の川を下り、紀伊半島沿いに江戸へ運んだらしい。慶応元年(1865)頃からは、京都の呉服を販売。徒歩で大阪まで行き、淀川を舟で上り、京都で呉服を仕入れて帰ってきた。屋号は明治初期から末期にかけて「みそや商店」「谷口商店」「谷口呉服店」、さらに現在の「みそや呉服店」と変遷し、大正末期に新しく「みそや呉服店」を建てて本店とし、もとの本店を別館としたという。
地元には橋本の基礎を築いた木喰応其(もくじきおうご)上人の応其寺、向かい側には保存修復済みの火伏医院(国登録有形文化財)、近くには同事業で撤去された太神社や一里松跡がある。
谷口さんは「この別館は発見された棟札から、京都の大工が橋本に建てた唯一の〝京都の町家〟です。表は店舗ですが、その奥には吹き抜けや玄関があり、まさに京都の住居となっています」と説明。さらに「太神社の再建や一里松の植栽計画もあるので、皆さんと協力し、橋本駅に降り立った人々に郷土の歴史を感じてもらえるようにしたいです」と話していた。
写真(上)はジャッキ・ワイヤーロープ・コロを使い人力で移動する「みそや呉服店」別館。写真(中)は約70センチ持ち上げられた同別館。写真(下)はレール上を移動する同別館=バックは保存修復済みの「火伏医院」。


更新日:2015年9月9日 水曜日 00:00

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