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空海の母に合掌~慈尊院~開創1200年の感謝

弘法大師・空海の母・玉依御前(たまよりごぜん)を祀る和歌山県九度山町の世界遺産・高野山真言宗別格本山・慈尊院(じそんいん)は、4月8日、高野山開創1200年記念として「御母堂奉告(ごぼどうほうこく)」、弥勒堂(みろくどう=国重文)の檜皮(ひわだ)屋根葺き替えと多宝塔(県文化財)解体修理の「落慶」、「秘仏本尊・木造弥勒菩薩座像(みろくぼさつざぞう=国宝)開帳」の3法会を営んだ。
同院は弘法大師が弘仁7年(816)、高野山開創と同時に、高野山の表玄関の政所(まんどころ)として創建。玉依御前は承和元年(834)に、讃岐の国(香川・善通寺)から高野山を目指したが、女人禁制のため大師に会えず、同院に滞在。大師は毎月九度、母に会いに下山し、翌年、83歳で永眠。大師も1か月後に入定した。
この日、慈尊院や紀の川を舞台にした小説「紀ノ川」の著者・有吉佐和子(ありよし・さわこ)さんの長女で大阪芸術大学教授・作家の玉青(たまお)さん(51)が、玉依御前に扮して、しずしずと御所車(ごしょぐるま)に鎮座した。
ちょうど夜来の雨がやんだ午後1時半、御所車は、金棒引(かなぼうひき)を先頭に、和讃講(わさんこう)、法螺貝(ほらがい)、子供遍路、御所車、僧侶など約150人の行列が、文化スポーツセンター前を出発。葉桜並木の紀の川左岸県道を、慈尊院まで約700メートルを練り歩いた。
慈尊院の安念清邦(あんねん・せいほう)住職は、朱塗りの傘と、緋色の袈裟衣(けさごろも)姿で、ゆったり山門をくぐると、その前方に約20人の僧侶が整列、銅鑼(どら)が響き、本堂へ入堂した。
導師の高野山・金剛峯寺の次期検校法印(けんぎょうほういん)で、蓮華院(れんげいん)の東山泰清(ひがしやま・たいせい)住職が登壇。堂内では読経が続き、安念住職ら高僧が厳かに法会を営んだ。
この後、記念式典で高野山・金剛峯寺の添田隆昭(そえだ・りゅうしょう)宗務総長が、慶賀の式辞を述べ、安念住職が玉依御前を崇めながら、「母なくして子なし、子なくして母なし。母あっての、お大師様です」という意味の、情実あふれる謝辞を表した。
鏡割(かがみわり)では、添田宗務総長や有吉玉青さん、岡本章(おかもと・あきら)九度山町長、古田雅昭(ふるた・まさあき)伊都振興局長ら10数人が、慶賀の心を奉げた。
さすがに同院には、大勢の参拝客が参集。弥勒堂で法会期間(~5月21日)中、特別開帳されている秘仏本尊・木造弥勒菩薩座像に向って合掌し、玉依御前のご冥福、家族、国家の安泰を祈っていた。
写真(上)は朱塗りの傘の下、慈尊院・山門をくぐる安念清邦・慈尊院住職。写真(中)は安念住職とともに慈尊院境内に整列した僧侶の列。写真(下)は大勢の参拝・観光客でいっぱいの慈尊院境内。


更新日:2015年4月9日 木曜日 00:00

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