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「ふれ愛ライブ」や「幸村講演」~労働者福祉協50周年

高野山開創1200年・大阪の陣400年~ふるさと ふれ愛ライブ~「真田幸村と高野山」歴史を学ぶ講演会が、3月15日、和歌山県橋本市の橋本地区公民館で開かれた。会場の約80人は、郷土出身のマジシャン&シンガーソングライターの名演や、来年のNHK大河ドラマ「真田丸」を控えた、幸村と高野山の史実解説に聴き入っていた。
橋本・伊都地域労働者福祉協議会が、和歌山県の同協議会結成50周年を記念して開催。橋本市出身のフリーアナウンサーで「FMはしもと」で活躍中の西山恵子(にしやま・けいこ)さんが司会を務めた。
第1部で、かつらぎ町出身のマジシャン・北出知義(きたで・ともよし)さんが、何もないはずの手の中からハトが飛び出したり、椅子がふわふわと空中に浮かんだりする、不思議なマジックを次々と披露。「えっ、どうして?」と観客をうならせた。
人気上昇中の橋本出身のシンガーソングライター・浦部陽介(うらべ・ようすけ)さんは、ギターを抱えて登場。橋本の方言で歌いまくる「柿食いもてロックンロール」や、ふるさとの人や自然を綴った「僕を育ててくれた街」など5曲を歌い上げると、客席から「何とすてき♪」と、喝采を浴びていた。
第2部では、橋本市文化財保護審議会の岩倉哲夫(いわくら・てつお)委員が「真田幸村と高野山」と題して講演。「幸村は九度山町で14年間、閉居していたが、父・昌幸(まさゆき)は、今の真田庵の場所に居住、幸村は遍照寺の近くに住んでいた」と説明。
その数は「幸村の妻子と家臣など16人だが、そこから家臣の家族を推計すると総勢80~90人いたと考えられ、食料は計約150石にのぼる。これは当時の九度山の村高300石の半分を占め、とても閉居の身の雰囲気ではなく、特段に優遇されていた」と語った。
幸村の人物像について「わずか1・5メートル程度の小柄で、実際よりかなり若く見え、額(ひたい)には二、三寸の傷(きず)があった。幸村の初陣は小田原攻め、2度目は信州・上田城の攻防で、刀傷はこの時についたのではないか」と推察。
「大坂の陣では、真田勢計約300人が出陣。その内訳は3班に分かれ、九度山から幸村ら約130人、高野山から僧侶123人、残りは那賀地方から出陣。それぞれ中高野街道や、黒河道などを、別々に進軍した」と話した。
橋本市向副に墓地のある織田信長の嫡孫(ちゃくそん)・織田秀信(ひでのぶ)についても解説。秀信は関が原の戦いで、西軍方につき敗北。高野山へ登ったが、信長が高野聖を迫害した所業により、受け入れられず、山麓の向副村に住み、そこが終焉の地に。「幸村は〝秀信のようにはなりたくない〟と思い、出陣を決意したに違いない」と紹介。
最後に「来年のNHK大河ドラマ・真田丸が楽しみです。私としては、出来るだけ史実に忠実に描いてほしいです」と締めくくり、会場からも「真田丸が待ち遠しい」という声が出ていた。
また、西山さんは橋本・伊都地域労働者福祉協議会について、「高野七口黒河道ウオークや、町石道・不動坂の清掃奉仕などに、積極的に取り組んでいます」と紹介。同協議会の中谷善郎(なかたに・よしお)会長は、「きょうは大勢のご参加、誠にありがとうございます。私たちは、これからも地域貢献活動を続けていきます」と誓っていた。
なお、浦部さんは3月21日(土)、郷土の橋本市産業文化会館「アザレア」大ホールで、NewAlbum発売記念ライブ「ふる里と共に未来へ」を公演する=この紹介記事は本紙・2月1日発信済み。
写真(上)は子供の前で椅子を空中に浮かべるマジシャン・北出知義さん。写真(中)は人気上昇中のシンガーソングライター・浦部陽介さん。写真(下)は「真田幸村と高野山」を語る岩倉哲夫委員。


更新日:2015年3月16日 月曜日 00:00

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