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高野山〝ちょんまげ侍〟登場~日本縦断・渡辺さん

戦国武将・織田信長のちょんまげ姿で歩いて、日本を縦断中のパフォーマー・渡辺好博(わたなべ・よしひろ)さん(34)=長崎市出身、ニューヨーク在住=が10月21日、世界遺産・高野山(和歌山県高野町)を訪れた。渡辺さんは昨年急逝した〝人生の恩師〟で、アメリカの舞台女優・レベッカ・フロイドさんの遺骨を抱いて、檀上伽藍(だんじょうがらん)・御影堂(みえどう)で冥福を祈り、「高野山に登れてよかった」と、笑顔を見せていた。
渡辺さんは、高校卒業後に渡米し、カリフォルニアの大学で演劇を学んだ。その時の教授の妻がレベッカさんで、ご夫妻にはアルバイトの世話や、食事などの面倒をみてもらった。とくに個性的な渡辺さんに対し、レベッカさんから、「あなたらしく生きなさい」「あなた自身で、人生の価値を決めなさい」と教わった。
その心に響いた言葉を忘れず、渡辺さんは卒業後、アメリカで役者や路上パフォーマーとして活動していたが、昨年1月、レベッカさんは病気のため、65歳の生涯を閉じた。
渡辺さんは悲しい思いで、ニューヨークからカリフォルニアまでの、約6000㌔を歩いて、レベッカさんのお墓参りをした際、大切な彼女の遺骨を親族から分けてもらった。レベッカさんは生前、「日本が大好き」「いつか行ってみたい」と語っていたので、今回の「日本縦断の旅」を思いついた。また、男声合唱団員として、メジャーリーグ球団の国歌斉唱を務めた際、ちょんまげ姿が観客に喜ばれたので、今回の旅姿も、ちょんまげ姿に決めたという。
渡辺さんは、自ら織田信長と同じように、茶筅髷(ちゃせんまげ)を結い、紺の襦袢(じゅばん)・袴(はかま)姿に身をやつして、自筆で「天下笑一(てんかしょういつ) あなたの笑顔は美しい 東京サーカス団長 よし」としたためた旗を持ち、ベビーカーに荷物を積載した。
レベッカさんの遺骨と遺影(スマホ内)を胸に6月15日、北海道・宗谷岬を出発。各県をじくざぐに辿りながら南下。この間、山中ではイノシシやカモシカ、サルなどに出くわす。炎天下では熱中症になる。歩道のないトンネルでは、反射材つき作業着を羽織る。また、岩手県盛岡市の染物屋からは、渡辺さん自筆の〝旗の文字〟を染め抜いたタオル200本を贈られ、それを1本1000円で販売しながら、ほそぼそと旅費に充ててきた。
そして、渡辺さんは10月21日午前7時半、高野山麓の橋本市東家のコミュニティー放送局「FMはしもと」を出発。九度山町の慈尊院から町石道(ちょういしみち)を登り、午後1時半頃、高野山・大門に到着。巨大な阿吽(あうん)の仁王像を見上げて一息ついた。
この後、壇上伽藍に移動し、金堂、根本大塔、鐘楼(高野四郎)などを見て歩き、開祖・弘法大師を祀る御影堂に参拝。深々とレベッカさんの冥福を祈った。一旦下山して22日、再び高野山を訪れ、金剛峯寺、奥の院などを巡りたいという。
渡辺さんは「日本縦断の旅」の目的について、「とにかく皆さんに笑ってもらいたい。まさに天下笑一です」と話し、また「このようにレベッカさんと共に旅ができたうえ、きょうは世界遺産・高野山に無事登れたことがうれしい」とにっこり。そして「奥さんは?」の問いに「独身です」とテレたあと、「日本縦断で素敵なロマンは?」の問いには、「何しろ、前へ前へ進んで、とどまることがありませんから」と一笑にふし、夢について「いつかはハリウッド映画に登場したい」と、短く締めくくった。
高野山は今、紅葉・黄葉の秋。国内外からの参拝・観光客が多い。戦国時代さながら、信長然として、堂々と闊歩する渡辺さんの侍姿に、人々は明るく笑って次々と近づき、記念撮影をせがんでいた。
渡辺さんは、11月に郷里・長崎市にゴールインする予定だったが、永住期限の関係でいったんアメリカに戻り、改めて大阪を出発。来年夏頃に日本縦断を完了したい考え。

写真(上)は根本大塔をバックに「天下笑一」の旗を示す渡辺さん。写真(中)は高野山・御影堂で合掌する渡辺さん。写真(下)は高野山・大門前で笑顔を見せる渡辺さん。


更新日:2014年10月22日 水曜日 00:00

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