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窪田・前監督を囲む会~感謝、伊都高野球部OB

高校野球・春の甲子園へ3度も導き、昨年夏に引退した和歌山県立伊都高校野球部の前監督・窪田博(くぼた・ひろし)さん(65)を招いた「恩師を囲む会」が、同校野球部OBらでつくる同実行委員会主催で、2月1日、橋本市市脇の橋本商工会館8階大ホールで開かれた。窪田さんは「皆さんは私を3度も甲子園に連れて行ってくれた」と謝辞を述べ、教え子たちは「私たちこそ、窪田監督のお陰で、最高の青春を生きることができた」と敬意を表し、思い出話に花が咲いた。
会場には野球部OB約170人を含め、後援会や学校関係者など計約200人が参集。先ず恩師を囲む会会長の東山恵章(しげあき)・野球部OB会長が「大勢の参加ありがとう。楽しく過ごしてください」と開会の挨拶。続いて、東巌(ひがし・いわお)校長が「私が昭和51年に県立箕島高校に赴任した際、あの尾藤公(びとう・ただし)監督(故人)から、伊都高校に窪田監督ありと、耳にしていました。4年前に伊都高校に赴任しましたが、窪田監督の教育への貢献に敬意を表しますとともに、後任の養田晉一(ようだ・しんいち)監督率いる野球部に、変わらぬ支援をお願いします」と祝辞を述べ、窪田・前監督と小西捷治(しょうじ)後援会長らに感謝状を贈呈した。
この後、小西会長は「平成11年春の全国選抜大会で第1回戦の相手は強豪・帝京。その前夜、私は前々後援会長の青野捷三(あおの・しょうぞう)さんとともに、窪田監督と酒を飲んだ。監督は〝きっといい試合をするよ〟と言って、ウイスキーを一気飲み。試合では言葉通り、見事、帝京に勝ちました。窪田監督は農作業に励む一方、野球の練習指導に徹せられ、奥様やご家族にも多大なご苦労をおかけしました。ありがとうございました」と感謝、祝辞を述べた。
会場には、元・大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)の西村博巳(ひろみ)、久保文雄(ふみお)両選手をはじめ、甲子園に出場した選手、控えの選手、活躍できなかった選手ら、お互いに懐かしい面々が勢ぞろい。25期卒業の上田善計(よしかず)さんが「私は大した選手ではありませんでしたが、窪田監督の厳しいノックをいただき、素晴らしい青春を過ごせました」と、涙声で監督を見つめ、乾杯の音頭をとった後、全員、和やかに歓談に入った。
野球部OBは、窪田監督とのこと、野球のこと、学校生活のこと、卒業後のことなどについて、様々な話題で盛り上がり、最後に挨拶に立った窪田・前監督は「皆さんのお陰で、3度も甲子園に連れて行ってもらえました。ほんとうにありがとうございました」と礼を述べ、全員で伊都高校・校歌を斉唱、同OB会の高橋輝行(てるゆき)・副会長の閉会の辞でしめくくった。
[窪田監督と野球部戦績のあらまし]
窪田・前監督(九度山町慈尊院)は、大学卒業後、実家の果樹農業を営みながら、昭和46年(1971)4月~平成25年(2013)7月、母校(伊都高校)の野球部監督を務めた。
昭和50年の全国春の選抜大会で1回戦、札幌商業に0―2で惜敗。平成7年の同大会で1回戦、帝京に0―1で勝利、2回戦で星稜に4―6で惜敗。平成8年の同大会で1回戦、鹿児島実業に1―2で惜敗。(但し、平成7年夏の帝京は全国優勝=当時の伊都高の実力を証明)
窪田・前監督の座右の銘は「快打洗心」「為せば成る」。43年間の監督生活を振り返ると「昭和の故・尾藤監督、平成の高嶋監督とライバル心を持って戦えたことが誇り」。43年間抱いた夢「一度は行ってみたかった夏の甲子園」。43年間で一番うれしかったこと「監督就任1年目の夏の和歌山県予選で初戦に勝ったこと」と述べている。
写真(上)は檀上に着座する窪田・前監督、美佐子夫妻と、挨拶する東山・野球部OB会長。写真(中)は伊都高校の東校長から感謝状を受ける窪田・前監督=左。写真(下)は乾杯する窪田・前監督と妻・美佐子さん。


更新日:2014年2月2日 日曜日 00:00

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