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日本人の「情」を大切に~岡博士・研究家横山さん

世界的超1級の数学者・岡潔(おか・きよし)博士(1901~78年)の「岡潔思想研究会」主宰・横山賢二さんと、岡博士に関心の深い人々が懇談する「岡博士を語り合う茶話会」が、岡博士の本籍地である和歌山県橋本市のカフェ&ギャラリー「藪椿」(新田綾子さん経営)で開かれた。横山さんは「岡博士が唱えた〝日本人の情〟を大切にしましょう」と強調、参加者の共感を得ていた。
この日、山々と田園風景が見え、畳と紙障子が清楚な「藪椿」の上座に横山さんが着座。さらに順不同で、橋本市役所玄関前に岡博士の顕彰碑を建立した橋本ロータリークラブ社会奉仕委員長・奥村浩章(ひろあき)さん、同ロータリークラブ幹事・中村嘉宏(よしひろ)さん、元アサヒ飲料営業部長の泉憲行(のりゆき)さん、あんぽ柿製造販売もりもと屋代表・森本和洋(かずひろ)さん、月刊誌「致知」関西支社元代表・浜田清さん、岡潔数学WAVE会長・瀬岡佳史(よしふみ)さん、大阪市立大学名誉教授・牲川章(にえがわ・あきら)さん、橋本市文化スポーツ室長・北川久さんが長いテーブルを囲み、新田さんも特別参加した。
岡博士は大阪生まれだが、幼少期は祖父の郷里・紀見村(現橋本市)で過ごし、京都帝国大学で学び、「多変数函数論」などを発表。世界の天才・数学者でも、1問解くのに100年はかかる、といわれた3大難問を1人で解いた超天才。文化勲章受章者で橋本市名誉市民。
横山さんは高校時代、故郷の高知県で岡博士の講演を聴いて感銘を受け、しばらく後に岡博士宅を訪問した青春の1ページを紹介。和服姿で座敷に現れた岡博士に対し、「古里での講演会で、岡先生が〝これがわからんか!〟と聴講者を叱りました。それが忘れられないので、訪問させていただきました」と、訪問理由を述べた。「すると岡先生は〝そうか〟と、まるで身内にでも言うように気軽に応えてくださり、うれしかった」と、心のうちを明かす。
また「宗教とはどういうものですか」と尋ねると、「それは実践である」と即答。さらに、所持していた夏目漱石の小説「坊ちゃん」と万年筆を手渡し、表紙裏にサインを求めると、意外なことが起きた。岡博士は瞑想・禅定姿のまま、倒れるかと思うほど、体を左右に揺らし、やがて、かっと目を見開き、「山暮るる野は冬枯の涯(はて)もなく」という句を書いてくれた。
「その、わずか20~30分の間に、岡先生から受けた感動。それが、今日まで岡先生の思想研究を続けさせてくれています。大切な一句は、今も自宅に飾っています」と話した。
以来、横山さんは著書や対談集を熟読し、10数年前にはJA職員を退職し、関係資料の収集・研究に没頭。岡博士の京都産業大学教授時代の講義テープ約300本を起こし、それを手作りで製本し、全国の岡ファンに届けるなど、独自の活動を展開。「日本人の情こそが世界を救う」「他人(ひと)が先、自分は後」などとする岡博士の考え方の素晴らしさを訴えた。
この後、参加者らが自由に意見を主張。「欧米人はコオロギの音を、雑音と感じるらしいが、日本人は美しい自然の声と、受け止めている」と言えば、「江戸時代に俳聖・芭蕉が生まれ、明治、大正、昭和といい文化を受け継いできたが、大戦後は、大きく変わってきたのではないか」と心配する声も出る。
その一方で、「岡博士は、大阪など都会で暮らさず、自然豊かな橋本で育ったので、卓越した数学者・思想家になられたのだと思う」と推察。「釈迦如来、キリスト、孔子様のことも、100年後の弟子たちが書物に記し、その思想を伝えてきたので、岡博士のこともこれから次世代に伝承する必要がある」との、頼もしい意見が出ていた。
この茶話会・幹事役の奥村さんは「岡博士の思想を学ぶことは大切ですが、同時に岡博士の思想をどう受け止めているか、各自の思想を拝聴することも大切です。きょうは、自然豊かな最高の場所で、いい交流が出来ました」と話した。
なお、横山さんは前日、橋本市産業文化会館で開かれた「橋本市岡潔数学WAVE設立5周年記念講演会」で、女優・由美かおるさんとともに講師となり、市民約400人を前に、岡博士の思想の偉大さを語った。
写真(上)はカフェ&ギャラノー「藪椿」で開かれた「岡博士を語り合う茶話会」=一番向こうが横山さん。写真(中)は茶話会で岡博士と初対面時の感激を述べる横山さん。写真(下)は紙障子がきれいな和室で和やかに進む茶話会=右端は横山さん。


更新日:2013年12月17日 火曜日 00:00

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