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五輪金・前畑さん闘志ここに~80年前の写真発見
和歌山県橋本市出身のオリンピック金メダリスト・前畑秀子さんが、その前の昭和7年(1932)のロサンゼルス五輪で、金メダルを逸し、銀メダルに泣いた記事・写真を報じた新聞の写真や、郷土の紀の川で練習する風景写真などが、同市古佐田の阪口繁昭・元区長宅から見つかった。橋本市では前畑さんの写真展を計画しており、阪口・元区長は「ぜひ出展して、銀メダルの悔し涙を、見事4年後の金メダルにつなげた、橋本っ子の心意気を感じてもらいたい」と意気込んでいる。
前畑さんは大正3年(1914)、橋本町(現・橋本市)の出身。昭和7年(1932)のロサンゼルス五輪・女子200メートル平泳ぎで、タッチの差で銀メダルに甘んじた。帰国後、当時の東京市長に叱責され、周囲の激励もあって、次期大会の出場を決意。不断の努力を重ねた。
その結果、昭和11年(1936)のベルリンオリンピックでは、橋本小学校の後輩・小島一枝さんとともに出場。前畑さんは女子200メートル平泳ぎで見事、金メダルを獲得。小島さんも女子400メートル自由形で6位入賞を果たした。
今回、見つかったのは、「惜しや間髪の差 前畑覇権を逸す 世界新記録で2位」の見出しで、競泳中の写真を載せ、ロス五輪の詳細を報じた東京日日新聞1面の写真。また、このころ、橋本町の自宅近くの紀の川北岸で、木造の飛び込み台が作られ、前畑さんがそこから飛び込む瞬間の姿と、後輩・小島さんらと一緒に記念撮影した写真など計5枚。
いずれも約20年前、JR・南海橋本駅前の中心市街地再開発事業で、次々と旧家が撤去され、さまざまなものが処分されていく際、阪口・元区長が前畑さんや小島さんの写真を見つけ、「これはは橋本の宝もの」として、収集保存していたという。
今回、前畑さんが来年、生誕100周年を迎えることで、橋本市の中本浩精(こうせい)議員が、市議会で「市当局は前畑さんの記念イベントを考えていますか」などと質問したのに対し、市当局が「郷土資料館や学びの日のイベントなどで、前畑氏を紹介する展示会を予定しています」と答弁。これを「広報はしもと」で知った阪口・元区長が、あわてて屋内を調べたところ、前畑さんと小島さんの写真が見つかったという。
阪口・元区長は「前畑さん生誕100周年記念展には、ぜひ、この写真を出展し、とくに若い世代には、郷土の偉人の姿を心に刻んでほしい」と言っている。
写真(上)は昭和7年のロス五輪で「前畑覇権を逸す」と報じた東京日日新聞の1面写真。写真(中)は紀の川に設けられた飛び込み台から、ダイビングする瞬間の前畑さん。写真(下)は記念撮影に収まった前畑さん(前列右)と小島さん(その隣り)。