ニュース & 話題

〝そばの花〟満開〜〝ボタンそば〟は農業の救世主?

和歌山県橋本市胡麻生の「胡麻生(ごもう)・そば遊び塾」(篠原淳夫代表、約20人)が耕作している畑で、今夏、まったく種まきもしていないのに〝そばの花〟が満開になり、塾生たちを驚かせている。
「胡麻生・そば遊び塾」は、紀見サポートクラブ=浅井徹理事長(75)=の会員で、家庭菜園を楽しんでいた元会社員や教諭、商店主ら〝団塊の世代〟が、平成22年(2010)4月、米作より作業の簡単なそば栽培を学ぼうと発足した。
発案者は〝信州そば〟で名高い長野県佐久市出身の元ストア経営者で、そば遊び塾リーダーの北野禎之助さん(68)(同市城山台)。北山さんら家庭菜園をやっている塾生7人が中心になり、所有者から無償貸与された農地約1000平方メートルの畑で、そばの栽培を実践し、毎年、種まき、そば刈り、そば打ちを体験してきた。
ところが昨年11月、そばを収穫した後、種まきをしていなかったのに、今年6月下旬には、不思議にも、そばが生え、背丈が約1メートルに成長。遠目には、畑一面に粉雪をまぶしたように、真っ白い花が咲いて、幾つもの紋白蝶が乱舞している。
北野さんは「自然に落ちたそばの種が発芽し、自然に成長したのですが、私たちが種をまくより、よほど見事な咲きぶり。これが自然の力なんですね。いい勉強になりました」と明るく笑う。
お蔭で、今年も7月下旬には、そばを刈り取り、8月頃には市内の公民館で、そば打ち体験会を開催。大阪府河内長野市の「七望流 蕎麦(そば)道場」の講師(指南役)に、ほんもののそば打ちを習う予定だ。
北野さんは「そばというのは、天明の大飢饉(1782〜88)頃から、東北や関東で栽培。その訳は、岩木山や浅間山が大噴火。噴煙が空を覆い、米作ができず、農民は仕方なく、繁殖力のあるそばを栽培。そばは栽培に手間がかからず、そのうえ江戸庶民からは〝うまい〟と大うけで、全国的に広まったものです」と話す。
猟友会の一員でもある北野さんは、「日本の農業は、後継者難で、今のままでは、耕作放棄地ばかりになり、国土が荒廃する。いっそ、そば栽培を活発に行い、農地を荒らすイノシシを捕って、オリジナル食品〝ボタンそば〟でも開発すれば…。日本の農地が守られ、うまい商品もできますよ」と、力強く語った。
写真(上)は種をまかないのに開花した〝そばの花〟と浅井理事長。写真(中)は細かくて真っ白いそばの花。写真(下)はそばの花畑は粉雪をまぶしたような美しさ。


更新日:2013年6月29日 土曜日 17:42

関連記事

ページの先頭に戻る

  • 標準
  • 大
  • RSS
  • サイトマップ

検索

過去の記事