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「西行庵」再建、地蔵像など安置~27日、落慶法要
平安時代末期の歌人・西行法師ゆかりの和歌山県橋本市清水で、老朽化のため建て直していた「西行庵」が完成し、3月27日(水)午前、地元の高野山真言宗「永楽寺」の下田隆宗住職や関係者らが集まって、落慶法要が営まれる。
旧・西行庵は、高野山麓の旧・高野街道わきにあり、江戸時代の紀伊名所図会にも描かれ、「地蔵堂」と呼ばれてきた。同庵の東側には「国城の里 観音霊場巡拝 六番札所」と掲示され、石の地蔵尊が祀られている。
西行庵の土地、建物、仏像はすべて「永楽寺」の所有で、下田住職の話では、西行庵の堂内に、本尊・地蔵菩薩坐像など仏像約40体が安置されていたが、柱や床板がシロアリに食われて腐敗し、大地震が起きれば、ひとたまりもなく倒壊する危険性があった。
そこで、下田住職が「何とかしなければ」と思案していたところ、地元の篤志家から寄進(再建資金)の申し出があり、そのお陰で、無事、再建することができたという。
新しい西行庵は、古い西行庵と同じ場所に、木造平屋建て瓦葺(34平方メートル)で再建され、表には花台が設けられ、鉦緒(かねお)が吊るされている。内部には工事期間中、橋本市郷土資料館で保管してもらっていた地蔵菩薩坐像や西行像など6体と西国33所巡りの観音菩薩像33体を安置した。
とくに、地蔵菩薩坐像は昨年、和歌山県立博物館の学芸員の調査で、その胎内から古文書が見つかり、この地蔵菩薩坐像は、もともと高野山・女人堂の本尊だったことが推量された。それが今なぜ、この西行庵にあるのか、ロマンと謎に包まれたことから、昨年秋、同博物館の特別展「高野山麓 祈りのかたち」に展示された際には、来館者の人気を集めている。
落慶法要は、午前10時から営まれ、同11時から餅まきをして再建を祝う予定。下田住職は「篤志家と地元の皆さんのお力で、立派な西行庵ができました」と感謝し、地元の人たちも「ここは西行法師がとどまったところ。このように建物も仏像も、後世に残すことができてよかった」と喜んでいる。
写真(上)は再建された西行庵に安置された地蔵菩薩坐像に手を合わせる女性たち。写真(中)は落慶法要も近い西行庵。写真(下)は釣り鐘もある畳敷きの西行庵の内部。