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与謝野鉄幹・晶子の歌碑建立~高野山・三昧堂前

歌人・与謝野鉄幹(1873~1935)と晶子(1878~1942)が詠んだ〝真筆の歌碑〟が、和歌山県高野町の高野山真言宗総本山・金剛峯寺の伽藍・三昧堂(がらん・さんまいどう)前に建立され、12月17日、僧侶ら関係者10数人が集まり、除幕式が行われた。
歌碑は高さ約85センチ、幅約115センチ、厚さ約75センチの御影石製。その上部に鉄幹の「板じきの冷たきにゐて朝きくは金剛峯寺の山内の蝉」、晶子の「いにしへの三昧堂をくぐりきぬ法の御山の星の明かりに」という歌が彫られている。
これは、真言宗御室派宗務総長で総本山仁和寺執行長(愛媛県王至森寺住職)の瀬川大秀僧正が、自坊の先代の遺品の中から、鉄幹と晶子の直筆の墨書(色紙)各1枚を発見した。
ちょうど高野山真言宗総本山・金剛峯寺で、2015年には〝高野山開創1200年記念大法会〟が開かれるので、若い頃から親交のある高野山真言宗宗務総長(徳島県立江寺住職)の庄野光昭僧正に寄贈。
同大法会事務局(総裁=松長有慶・高野山真言宗管長、総監=庄野宗務総長)では、大法会記念として、墨書を刻んだ歌碑を建立することにした。
建立場所は、晶子の歌の中にある〝三昧堂〟のすぐ前。三昧堂は歌人・西行法師が修行した所で国指定の史跡。金剛峯寺から檀上伽藍に通じる蛇腹道のそばにある。
金剛峯寺によると、鉄幹と晶子は昭和5年ごろ、高野山夏期大学に出席していて、この際、鉄幹は夏の朝の板敷きの冷たさや蝉の声を感じ、晶子は星明かりの中、古い三昧堂などをめぐってきて、それを詠ったものらしい。
この日、時雨(しぐれ)の中、歌碑の前で御法楽が営まれた後、瀬川、庄野両宗務総長が除幕。庄野宗務総長が「これは貴重な真筆であり、私ども智恵を絞って、この場所に歌碑を建立しました」、瀬川宗務総長は「このような日の当たるところへ、出していただいて、とてもうれしいです」とお互いに謝辞を述べ、大法会事務局の近藤本淳・事務局長が「きょうは〝甘露の雨〟のなか、また一つ名所ができました。ありがとうございます。ぜひ、多くの方々にご覧いただきたいと思います」と締めくくった。
なお、高野山公園墓地(奥の院中の橋駐車場からの参道)には、昭和25年(1950)に与謝野晶子顕彰会が建立した晶子筆の「やははだの あつき血潮に ふれもみで さびしからずや 道を説く君」の歌碑がある。
写真(上)は与謝野鉄幹・晶子の歌碑に見入る瀬川、庄野両宗務総長ら。写真(中)は御影石に彫られた与謝野鉄幹・晶子の直筆の歌。写真(下)は時雨の中、歌碑の前で御法楽など除幕式が行われた。。


更新日:2012年12月17日 月曜日 22:15

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