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紙芝居・石童丸物語…児童に披露~学文路苅萱堂

和歌山県橋本市学文路の〝学文路苅萱堂(かむろかるかやどう)〟顧問の岩橋哲也さんは、7月3日、苅萱堂を舞台にした平安末期の親子の哀話「石童丸物語」の紙芝居を、市立学文路小学校の児童たちに披露し、郷土の素晴らしさと親子の情愛の大切さを訴えた。
学文路苅萱堂(西光寺境内)縁起によると「石童丸物語」は、筑紫の国(福岡県)の領主・加藤左衛門繁氏(しげうじ)が、不幸な境遇の千里を館に引き取るが、自分の罪深さに気づき、高野山で苅萱道心と称して修行。
出家後に千里が石童丸を出産。14年後に母子は高野山をめざすが、女人禁制のため千里は山麓の宿に残り、石童丸だけが山上で道心に会う。しかし、修行中の道心は父と名乗れず、石童丸が宿に戻ると、心労から千里が急逝していた。その後、石童丸は高野山で道心の弟子となり、仏道修行するが、生涯、父子の名乗りをすることはなかったというストーリー。
この日、岩橋さんは学文路苅萱堂で、自らの構成・文、高橋佳子さんの絵の紙芝居「石童丸物語」を上演。集まった学文路小学校1、2年生計34人が、岩橋さんの名弁士ぶりに耳をすまし、平安時代の衣装に身を包んだ登場人物の絵に見入っていた。
引率の教諭の話では、これは生活科の学習「まち探検」の一環で、南海高野線・学文路駅や江戸時代の土木技術の天才・大畑才蔵など、まちの名所・旧跡に挑んでいて、今回は、全国に名高い「石童丸物語」を学んだといい、「子どもたちには、とてもいい勉強になりました」と話した。
岩橋さんは、この紙芝居を約15年前に制作。学文路苅萱堂などで市内の幼稚園、小学校の子どもたちに披露。「いろんなことで辛い人はいっぱいいます。平安時代にも、この物語のような哀話がありました。それを知ることで、子どもたちは、辛いことにも打ち勝つことが出来ると思います」と語った。
写真(上)は岩橋さんによる紙芝居「石童丸物語」に見入る学文路小学校の子どもたち。写真(中)は紙芝居で名弁士ぶりを発揮する岩橋さん。写真(下)は学文路苅萱堂に掲げられた「絵解き絵馬」と岩橋さん。


更新日:2012年7月3日 火曜日 18:05

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