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鈴虫、半世紀〝甕〟に鳴く~初桜酒造の母屋土間
半世紀にわたって甕(かめ)の中で鈴虫を飼っている老婦人がいる。和歌山県かつらぎ町中飯降、笠勝清子さん(87)で、「甕に反響する鈴虫の音は格別で。ああ秋ですねえ、と心涼しくなります」と話す。
1960年頃、清子さんの夫で「初桜酒造」社長の政雄さん(故人)が、毎年、高野山や貴志川方面へ、鈴虫採りに出かけた。古くて縁の欠けた甕に土を入れ、庭の草=龍の髭(りゅうのひげ)=を植えて、その鈴虫のマイホームにした。
世話をしたのが清子さん。土を湿らせ、出汁(だし)ジャコ、鰹節(かつおぶし)、茄子(なす)、胡瓜(きゅうり)を与える。鈴虫は毎年6、7月に卵から孵(かえ)り、8、9、10月と鳴く。
政雄さんは6年前に他界したが、清子さんは世話を続け、鈴虫は甕の中で〝子々孫々、輪廻転生(りんねてんせい)?〟を繰り返してきた。毎年、高野山の寺院や、友人知人に約100匹単位で差し上げるが、甕の中は、いつも数100匹の鈴虫でにぎわっているという。
このあたりは、紀ノ川の上流で、昔は「川上酒」と呼ばれ、酒の本場だった。同酒造の酒も、すぐ裏を流れる紀ノ川を舟で渡し、馬で高野山へ運ばれた。山上は女人だけでなく、酒も禁制だったため、酒のことを「般若湯(はんにゃとう)」と言い、同酒造が「高野山 般若湯」と銘打って、その酒を造り続けている。
ここの鈴虫は、その歴史的な、木造2階建て瓦葺の、町家の土間の、2つの甕に棲んでいる。清子さんの元には、友達がひっきりなしに訪れて、〝にわか茶会〟が開かれ、清子さんのお点前、お客の立ち居振る舞い…。鈴虫が、そのバックミュージックを務め、中庭の用水では、真っ赤な金魚が、彩りを添えている。
現社長の笠勝清人さん(57)は、鈴虫を虫かごに入れ、国道26号に面した店頭で、顧客に聴いてもらっている。政雄さんの二女の博美さん(60)は「私が小学生の頃、鈴虫を大事にしていた父を思い出します。甕の中の鈴虫は、もう50年も前から、父が大事にしていた鈴虫の末裔(まつえい)なのですね」と感慨深そう。
清子さんは「きのうは表で〝小田井〟の流れを見ていたら、家の中からリーン、リーンと透き通った声がもれてきました」と、にっこり。
「庭に放してやりたいが、何しろ、鈴虫はか弱いですから、他の生き物に食べられてしまいます。ここが別天地なのですよ。欲しい方がおられたら、来年になりますが、遠慮なく言ってください、差し上げます」と話した。