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〝紀州へら竿〟を国伝統工芸品に~田中さん起源調査
日本一の紀州へら竿(ざお)の産地、和歌山県橋本市の紀州製竿(せいかん)組合=田中和仁組合長(43)=は、紀州へら竿の「国の伝統的工芸品」指定をめざし、その〝ルーツ調査〟に取り組んでいる。田中組合長は「私の手元には100年前の竿師の手作りの〝へら竿〟がありますが、〝へらぶな釣りと和竿の歴史〟は、もっと遥かに古いはず。和竿に関する文献なり、浮世絵なりがあれば、ぜひ教えてほしい」と訴えている。
同組合には30~80代のプロの竿師45人が加盟。毎年、高野竹を使った和竿〟3000~3500本を全国に出荷。全国シェア90パーセントを占めている。
紀州へら竿は、竹伐りや竹をつなぐ生地組み、竹を真っ直ぐに伸ばす火入れ、漆(うるし)塗り、穂先削り、握り部分の装飾、仕上げ塗り…と繊細で、根気と丹精込めて作る日本の工芸品のひとつ。
同組合によると、橋本の若者たちが、大阪のへら竿師「竿正(さおしょう)」=溝口象二さん=1857年(安政4)~1922(大正11)年=から〝和竿〟の作り方を学び、以来、橋本の産業となった。最盛期の1950年代には100人近くの竿師がいたが、カーボンやグラスファイバー製の竿に押されて、今では半減したという。
それでも「へらぶな釣りは、和竿が最適」と、根強いファンが多く、1988(昭和63)年には、和歌山県から、その歴史、技法、品質などが認められ、県の「伝統的工芸品第1号」に指定されている。
田中組合長は、子供の頃から郷土・橋本の池で、へらぶな釣りを経験している。筑波大学(社会工学類)を卒業後、大手電機会社でシステムエンジニアとして働いたが、初めて〝紀州へら竿〟を買って、その手触りの良さに感動し、転職を決意した。
ベテランの紀州へら竿師・山上薫誉さんについて修業し、2003(平成15)年に竿名「和彦」として独立を許され、プロになった。昨年4月には、その実力と人望のあつさから、同組合の組合長に推され、就任。このとき「紀州へら竿は、県の伝統的工芸品に指定されているが、へらぶな釣りも和竿も、少なくとも〝ちょんまげ時代〟から行われていたはず。自然豊かな、わが国の伝統文化そのものです。なんとしても国の伝統的工芸品に…」と思い立ち、県の協力を得て、行動を開始したという。
国の指定を受けるには▽100年以上変わらない製法であること▽作り方は手工芸であること▽原材料は天然物であること▽30人以上の工芸家が活動していること、などの条件を満たす必要がある。
田中組合長は「手元には100年以上前の竿師「竿正」の作品があり、その製法を受け継いでいること、原材料は高野竹など天然物であること、組合の竿師は45人もいることなど、一応の条件は満たしているつもり。しかし、国の伝統的工芸品の指定を受けるには、当然ながら、そのハードルは高く、簡単ではありません」と前置き。
国(経済産業省)からは、たとえば、「和竿などというものは、100年前にいきなり生まれたものではないはずです。もっと古い、もっと深い、歴史があるはず。和竿のためにも、しっかりルーツを調べてほしい」と、厳しい指導を受けている。
その反面、同組合では、全国の太公望を集め「HERA1(全国へらぶな釣り選手権大会)」や、地元の小中学生を対象にした「和竿作り体験教室」、「へらぶな釣り大会」などを開催し、すべて竿師がボランティアで活動。その取り組みぶりは、国から高い評価を受けている。
田中組合長は「紀州へら竿作りは、後継者難で大変ですが、県とともに和竿の源流をたどり、必ず国指定をもらって、紀州へら竿を次世代につなげたい」と話した。