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フェニックスは生きていた~あの、たばこ産業の…
和歌山県橋本市隅田町にあった「日本たばこ産業橋本工場」玄関の名物・フェニックス3本が、同工場が撤退して7年後の今、北東約2キロの隅田町中島、特別養護老人ホーム「ひかり苑・天佳苑」(堀畑光久理事長)の入り口で、どっこい元気に生きていた。
フェニックスは高さ約8メートル、幹回り最大約1メートルの堂々たる大きさ。
日本たばこ産業橋本工場は、1941年(昭和16)に、大阪地方専売局橋本たばこ再乾燥場として開設され、45年(昭和20)に、たばこ製造を始めた。
フェニックスは64年(昭和39)、国道24号沿いの、同工場玄関前に植樹され、長い間、同工場のシンボル、あるいは、まちの〝道標〟として、市民に親しまれてきた。しかし、同工場は2003年3月、「製造拠点の効率化のために」という理由で閉鎖。建物は撤去され、フェニックスだけが、引き取り手もなく、処分待ちのまま残されていた。
これを知った堀畑理事長が「当施設の庭に植えて、お年寄りの心の癒しにしたい」と、フェニックスの譲渡を申し込んだところ、日本たばこ産業は「お年よりのためなら喜んで」と、これを快諾した。フェニックス3本は、04年2月、同施設に運ばれ、約10メートル間隔で、並んで移植された。
フェニックスは温暖な風土で生きる植物。「橋本カントリークラブ」東側の高台にある同施設の庭で、果たして根付くかどうか、心配されたが、同施設の評議員で事務長の高幣恵造を中心に職員らが、下草刈りをしたり、古い枝葉を切り落としたり、丹精込めて育てた結果、今では、台風にも、びくともしないほどに、頑丈に成長した。
たばこ産業の工場跡では、現在、スーパーマーケットの建設工事が着々と進められ、昔の風景はもうどこにもない。
高幣さんは「フェニックスは、古い枝葉を剪定しますと、若い枝葉が勢いよく生えて、樹木がぐんぐん伸びるように思います」と説明。堀畑理事長は「このフェニックスは、すでに樹齢約50年で、とくに郷土の人たちには、馴染み深いことかと思います。お年寄りはもちろん、この通り、フェニックスも大事にしています。ぜひ見物に来てください」と言っている。