ニュース & 話題
「F1優勝が夢」白石選手~AFR日本人初V
和歌山県橋本市神野々のレーサー白石勇樹選手(21)は、このほど中国・珠海(すーはい)で開かれたAFRシリーズで、見事、日本人初の優勝を飾った。レース出場には、莫大な資金が必要で、白石選手は「アルバイトとスポンサーのおかげで走ることができた。でも、ぼくの目的は世界最高峰『F1優勝』で、かならず夢を果たしてみせる」と力強く誓った。
白石選手は、県立紀の川高校(通信制)、鈴鹿レーシングスクール卒業。若干21歳で、ここまで成長した白石選手の努力には、すさまじいものがある。
7歳のときに50ccモトクロスに初めて乗れた。モトクロスは両親の友人が買ってくれたもの。乗ったのは両親が見守る 大阪・大和川の河川敷。「自転車のペダルを踏むわけではない。アクセルをすと、20キロ程度のスピードでも、景色がとんでくる。気持ちよかった」と言う。
8歳のとき、大阪府河内長野市の「プラザ阪下」で開かれたレースに初出場。10周30キロを走る間に4回も転倒。出場した約30人中、ビリだった。「あんなに悔しかったことはありません」と話し、「でも、あれがバネになり、闘志を燃やすことに…」と述懐。週2回「プラザ阪下」で猛練習し、3回目出場で3位入賞を果たした。その後、ジュニアレースで何度か優勝するようになり、プロのモトクロスライダーを夢見るようになった。
ところが、それより3年前、5歳のときテレビ観戦した車載映像、F1界の神様と言われたアイルトン・セナ選手(ブラジル)の雄姿が、心の奥深くに眠っていた。中学2年(13)の秋、両親に頼んで観戦した鈴鹿F1グランプリ。そのスピード、音、匂い…。すべてがモトクロスを上回り、「大好きな、あの、セナのように」という思いに、全身、身震いした。中学3年(14)の春、ついにバイクを引退、F1を目指すことになる。
レーシングドライバーの登竜門「鈴鹿レーシングスクール」の入学費は500万円。四輪に猛反対の両親は「すべて自分でやりなさい」と言う。そこで、県立紀の川高校定時制に入学し、飲食店でアルバイト。お金が足りないので、さらに通信制に編入し、飲食店2店を掛け持ちアルバイトして、やっとの思いで同校を卒業。同時に鈴鹿レーシングスクールに入校できた。
そこでは、ドライブテクニックや人間性、体力を徹底的に評価され、最初入校した定員60人は、やがて30人、20人、8人という風に残り、卒業できるのはたったの4人。白石選手は、とりあえず、この難関を先ず突破した。
2009年に19歳でデビュー。鈴鹿シリーズS―FJクラスに、3年落ちの中古車で出場しながらも、年間ランキング2位を獲得した。そこでも「1位ではない」という悔しさが闘志を抱かせた。
2010年に20歳のとき、FCJクラスに出場。参加21台中、16台はワークス(環境に恵まれた選手)、5台はプライベーター(お金がなく態勢が整わない選手)。白石選手がプライベーターとして挑戦したレースの結果、全体で3位入賞、プライベーターでトップを果たした。そして今年5月28、29両日、中国・珠海で開かれたAFRシリーズで、ついに日本人初Vを飾ったのである。
それで終わった訳ではない。6月18、19両日には、再び中国・珠海でのAFRシリーズ第5戦、第6戦に出場。「このレースでは何としても、優勝したい。貧乏レーサーがスポンサーに出来る恩返しは優勝しかない」と言う。最後に、白石選手は「ぼくの目指すF1は、世界中から、たった20人しか出場できません。しかも、出場には巨額の資金を必要とします。日本人の成績は、鈴木アグリさんの3位入賞が過去最高ですが、ぼくは将来、必ず優勝して見せます」と、きっぱり言い切った。
この頑張りについて、白石選手を応援しているウィンズの平阪佳久さん(橋本市高野口町)は、「とにかく、レーシングドライバーは、お金がかかるので、白石選手はスポンサー活動に明け暮れ。練習する時間もないのに、レースでは抜群の成績をあげています。将来が楽しみな、日本が誇れる青年です」と賞賛している。
白石選手の現在スポンサーは、県内の法人42社と大阪府内の法人1社。社名などのワッペンをレーシングスーツに装着するとともに、広告活動などに協力している。