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卒業生1万人突破、橋本の「いわき料理学院」
《紀州・橋本の「いわき料理学院」卒業生10000人突破、「食文化の拠点、郷土の誇り」と市民ら喝采》
和歌山県橋本市古佐田の和歌山県公認「いわき料理学院」(岩城功子校長)で、創立以来の卒業生が今春10000人を突破し、市民から「食文化の拠点で、郷土の誇り」と喝采を浴びている。岩城校長は「健康な心と体は、安心な手料理から。これからも料理の基本を学び、楽しい家庭を築いていただきたい」と張り切っている。
同学院は1954年、岩城校長の夫の母・滋子(しげこ)さんが創立した。67年に夫・有一さんが後を継いだが、残念ながら死去したため、01年に功子さんが3代目校長に就任した。初代・滋子さんは、茶華道の先生から「これからの時代は、料理の腕が必要です」と教わり、大阪の調理学校で修業したうえ、橋本市橋本の古民家(現・橋本まちかど博物館)で「いわき割烹学院」として創立。後に、食事処と間違える人もいたので、「いわき料理学院」と改名した。有一さんは、関西学院大学を卒業したが、「家業」を継ぐため調理師学校で学び、奈良のホテルで修業、立派に2代目に就任した。ところが、60歳で無念の病没。残された功子さんは、「どの家庭にも、手作り料理が大切。主人の母や、夫が、せっかく敷いてくれたレールを、私の代で絶やすことはできない」と、後継ぎを決心。今日に到ったという。講師陣には、10年前から長男・一平さん、今は、長女・春木真理子さんもいて、すでに、4代目校長には、一平さんの就任が決まっている。
今春、第56回卒業式があり、料理部門(本科・研究科)の卒業生は、創立以来合計10030人を数えた。途中、増設した学科のパン科も卒業生は840人、菓子科は760人にのぼった。岩城校長は、すべて手書きの卒業証書を作成しているが、「証書の最後に『第10000号』と筆で書いた瞬間、あぁ、よくここまでこれた、と、思わず涙がこぼれました。多くの友人がスタッフに加わり、私たちを支えてくれたお陰です」と述懐した。
学院内には7台の調理台、流し場には21本の水道蛇口、それに金杓子や泡立て器、おろし金などの道具類を常備。清掃が行き届いていて、隅々までピッカピカだ。岩城校長は4月5日、新しい本科生に対する初めての講義で、「料理とは、材料(自然界の恵み)を理(道理)に適うように行うこと。それぞれの命に感謝し、食材を全部生かしましょう」と、料理にとって最も大切な点を強調した。実技面では、あくまでも「商業料理」ではなく、「家庭料理」に重点を置いて指導するという。
生徒は橋本・伊都地方を中心に、大阪、奈良、和歌山の各府県に住む20代~70代の男女。本科は週に1回、研究科、パン科、菓子科はそれぞれ月1回の講習を受け、1年間で卒業するが、「もっと勉強したい」と、4年間通い続ける生徒は、20パーセント以上にのぼる。また、最近の特徴としては、「コンビニの食事ばかりでは味気ないので」とか、「妻においしいものを食べさせてやりたい」などの理由で、団塊の世代の「料理挑戦」が目立つ。一方、岩城校長と卒業生は、毎年1、2回、街の飲食店で「食事会」を開いて歓談する。その際、主婦らは「以前は料理は我流だったが、今は、栄養のバランスを考え、経済的にも、食材を上手に、無駄なく、使えるようになった。料理を習ってよかった」と喜んでいる。
岩城校長は「私は卒業生の結婚式には『よく整えられた食卓は、幸せな家庭の泉です』と祝電を打ちます。この大切なことを、出来る限り、教え続けます」と誓い、後継者の一平さんも、「医食同源という言葉があるように、心や体に食は大事です。そう考えて、私も料理に打ち込んでいます」と、力強く話した。かつてスタッフとして協力した栄養士で、カフェ&ギャラリー「藪椿」経営・新田綾子さんは、「卒業生10000人突破、おめでとうございます。一層、幸せな家庭づくりに向けて、すてきな料理人を育ててくださいね」と、祝福のエールを送っていた。