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橋本高校創立100年記念展、まちかど博物館

《橋本高校創立100周年記念展、4月~来年3月末、橋本まちかど博物館》
高校教育の心髄を物語る「県立橋本高校創立100年記念展」が、4月1日~来年3月31日、和歌山県橋本市橋本の1の5の15「橋本まちかど博物館」で開かれている。「橋本高等女学校・橋本高校風景の写真」「橋本高等女学校時代の教科書」「橋本高等女学校・橋本高校のクラブ活動、同窓会など資料」の3コーナーに分けて、計約50点を展示。古西義麿館長(文学博士)は、「自治の精神を持つ生徒、生徒の人生を思う教諭、貴重な資料に接し、心打たれます」と来館を薦めている。
同校は1911年(明治44)、橋本町立実科高等女学校として創立。15年(大正4)に町立高等女学校、18年(同7)に伊都郡立高等女学校、戦後の教育改革に伴い、48年(昭和23)に県立高校となり、06年(平成18)に古佐田丘中学校を併設、現在に到っている。
「まちかど博物館」は、JR・南海「橋本駅」の駅前再開発事業で、立ち退きになった旧家から、歴史的資料が散逸、処分されないように収集保存。同校が今年2月23日に創立100周年を迎えたのを機会に、在校・卒業生はじめ、市民に関係資料を閲覧してもらうことにした。
写真コーナーには、27年(昭和2)の女生徒の体操、31年(昭和6)満州事変の頃、着物姿の記念撮影、56年(昭和31)生徒たちによる「橋本高」の人文字の航空写真など、昔の光陰を切り取った13枚を掲げている。教科書コーナーは、1915年(大正4)の柔道創始者・嘉納治五郎他編による「女子修身書」や26年(大正15)の「現代裁縫教科書」「女子図画教範」など20点30冊。クラブ活動・同窓会コーナーには、57年(昭和32)の取材記事に「橋本小学校校舎紹介 一流ホテル並の豪華さ」とある「橋高ジャーナル」(橋本高校新聞部)や、56年(昭和31)の「登り道」(橋高定時制文芸部)、53年(昭和28)の「天文気象月報」(天文気象部)など20点30冊が展示されている。
同博物館の事務局担当・村木宏さん(80)は、「私は、女学校から男女共学になった橋本高校に、伊都中から編入した第1期生です。当時16歳。女の子と席を同じくするなど、まったく経験がありません。とくに男子は緊張し、講堂に入れず、皆、運動場の隅に固まっていましたよ」と述懐。「私たちは『自由と平和』の校風をつくろうと、生徒会が校章デザインを生徒から募集した結果、鳩を図案化したものに決まりました。その気風、私たちは誇りに思っています」と話した。
古西館長は「この冊子を見てください」と「第6回(S、31、3)卒業生 西田学級近況」と題した、72年(昭和47)発行のガリ版刷り冊子を広げ、「これなど、すごいですよ。受け持ちの生徒たちが卒業して16年後に、生徒たちから現況報告を集め、西田先生がガリ版刷りで製本している。報告する生徒もいいが、生徒を思う先生の心も深い。これら貴重な資料から、中等教育の中心になった流れをくみとってほしい」と話した。
開館時間は午前10時~午後4時。休館日は土、日、祝日。問い合わせは同館(0736・32・4000)
〔橋本高校100周年略年表〕
明治44年(1911)2月23日=橋本町立実科高等女学校創立
大正2年(1913)3月    =第1回卒業式、卒業生16人
大正4年(1915)6月4日  =橋本町立高等女学校と改称
大正7年(1918)4月1日  =伊都郡立橋本高等女学校と改称
大正7年(1918)6月25日 =新築校舎落成、現在の位置(古佐田4の10の1)に移転
大正9年(1920)4月1日  =和歌山県立橋本高等女学校と改称
昭和3年(1928)9月1日  =生徒の服装を洋服に改める
昭和4年(1929)4月29日 =校旗を制定し白百合を以て校章と定める
昭和10年(1935)3月17日=校歌を制定
昭和23年(1948)4月1日 =和歌山県立高等学校、旧橋本高等女学校の校舎に開設
昭和23年(1948)10月1日=定時制開設、生徒34人
昭和42年(1967)4月1日 =定時制課程を紀ノ川高等学校に統合
昭和55年(1980)3月31日=プール完成。石碑(校歌・友情碑)完成
昭和55年(1980)12月14日=運動場夜間照明施設完成
平成18年(2006)4月1日 =和歌山県立古佐田丘中学校を併設
(平成22年 創立100周年記念版 和歌山県立高等学校同窓会会員名簿 所収の年表から抜粋)


更新日:2011年3月30日 水曜日 00:37

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