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戦争語り継ぐJR橋本駅の銃弾跡残る板壁、丸山公園内に移設展示へ。傷痍軍人会
太平洋戦争末期、米軍機の機銃掃射を浴びて市民4人が死亡、その弾痕が残る和歌山県橋本市古佐田、JR橋本駅の倉庫の板壁が、近く同市立丸山公園内に移設、保存されることになった。駅舎のバリアフリー化工事に伴い、倉庫が取り壊されることになったため、橋本市傷痍(しょうい)軍人会(阪口繁昭会長)が板壁の譲渡を要望。JR西日本側が譲渡を約束した。同会は板壁を同公園内にある「山陽線列車事故・犠牲者慰霊・地蔵菩薩像」前に移設することにした。阪口会長は「戦争の悲惨さを物語る歴史的資料です。永久に保存展示して、犠牲者の冥福を祈りたい」と話した。
同会の調査によると1945年7月24日午前10時頃、紀ノ川下流方面から米軍の艦載機2機が飛来。同駅上空を旋回した後、空から縦横に空襲。駅舎や2番線上りホームに停車中の貨物列車に機銃掃射を繰り返した。このため、貨物列車に積んでいた松根油(しょうこんゆ)入りドラム缶が次々と爆発、空高く舞い上がり、貨物列車付近にいた中学生2人を含む市民計4人が犠牲になった。
2、3番線ホームの渡線橋下の倉庫の板壁(約10平方メートル)には、直径約2センチの弾痕が約20個も残った。戦後65年間、多くの乗降客に戦争の爪跡を見せつけ、親、子、孫へと3代にわたって、「ノーモア戦争」を訴え続けてきた。バリアフリー化工事は昨春から始まり、渡線橋は間もなく撤去される。同傷痍軍人会は同板壁と、渡線橋の登り口脇にある「大正元年九月 鉄道院 東京月島機械製作所製造」と刻まれた標柱の譲渡を要望。松村義博駅長は「本社と相談した結果、駅としても貴重な資料であり、大切にしてもらえるなら」と、保存を条件に譲渡を約束した。
保存場所になる丸山公園内の地蔵菩薩像は、1938年6月15日、山陽線・和気駅(岡山県)で起きた列車事故で、犠牲となった橋本尋常小学校の児童ら30人を慰霊している。同会は板壁と標柱、説明板(屋根付き)を同地蔵菩薩像前に移設展示。訪れる人たちに戦争、列車事故の2つの悲劇による犠牲者を、ともに弔ってもらうことにした。
一方、機銃掃射を目撃した同市下兵庫、冨田全紀さん(81)は、自著「駅前 町家の風情」で、ドラム缶が爆発して空中に吹っ飛び、市民が逃げ惑う様子を、挿絵(水彩画)入りで紹介。銃弾跡が生々しい板壁に張り出し、乗降客に「ノーモア戦争」を訴えてきた。阪口会長は「あの板壁は貴重な戦争遺産です。改めて平和の大切さを噛み締めてほしい」と強調した。
(2011年3月1日 曽我一豊)