特集

天皇行幸ゆかりの御幸辻駅、高野辻駅から改名

南海高野線アーカイブス5回目は、1915年(大正4)3月11日に開業した御幸辻駅の駅舎。御幸辻駅は、高野山に詣でる天皇行幸の道が通っていたことから、駅名になったのですが、開業当時は、高野辻駅と呼んでいました。ところが、全国各地から高野山参拝に訪れる乗降客の中に、高野辻駅を高野山への下車駅と間違えて降りる人がたびたびあったことから、御幸辻駅と変更したという逸話が残されています。
写真で見るように、木造駅舎やプラットホーム(次回掲載予定)は、「まるで公園の中の駅みたい」といわれ、地元をはじめ大阪の小学生らが、しばしば写生に訪れたこともあります。駅近くの山はマツタケの産地で、1955年(昭和30)ごろまでマツタケ狩りの客でにぎわいました。
写真(上)は、駅舎正面で、1980年(昭和55)9月2日に撮影。同(中)は、ホーム側から見た駅舎で、1988年(昭和63)12月5日に撮影。同(下)は、複線化に伴う新駅舎建設のためにつくった仮駅舎で、1993年(平成5)2月16日に撮影しました。
                     (フォトライター 北森久雄)


更新日:2011年4月12日 火曜日 11:47

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