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オリンピック金メダリスト前畑、古川両選手を育んだ紀ノ川
高野山のふもと、和歌山県橋本市を流れる1級河川・紀ノ川。源流は隣りの奈良県・大台ケ原。奈良では「吉野川」と呼ばれ、和歌山に入ると「紀ノ川」と名前が変わる。南岸の国城山系の柿山から紀ノ川を望む。北側の葛城山系の山々は、だんだん色づき、いくつもの浮雲が陰を落としている。その手前にJR・南海「橋本駅」周辺の町並み。さらに手前を帯状に流れる紀ノ川は、まぶしく春の光をはね返していた。
五輪・金メダリストの前畑秀子さん(1914~95)と、古川勝さん(1936~93)は、この橋本駅近くで生まれた。兵藤さんは1936年のベルリン五輪・女子200メートル平泳ぎで、日本女性として初優勝。古川さんは20年後の1956年のメルボリン五輪・男子同種目で、郷土出身2人目の優勝を飾った。駅前は、ちょうちん行列で沸き返ったという。前畑さんは、NHKアナウンサーが、ラジオの実況中継で「前畑がんばれ」と、熱狂的に繰り返したことで有名。古川さんは、プールに飛び込んだら、そのまま顔を上げないで、ぐいぐい突き進む「潜水泳法」で、その名を国内外にとどろかせた。今は亡き2人は、名誉市民となり、その顕彰碑(橋本ロータリークラブ)が、市役所前に設けられ、通りがかりの人たちの目を引いている。
少年たちは昔、プールのない時代、皆、紀ノ川で河童(かっぱ)のように泳いだ。前畑さんも、古川さんも例外ではない。古川さんの兄・弘さん(76)は、「勝は我が家の前の岩場から飛び込み、橋本橋までの約200メートル間を、毎日3往復しました。当時、水かさは多く、水流も早かった。下りはいいが、上りは、なんぼもがいても、進まなんだ」と懐かしむ。
私は、南岸にまわり、川原に降りた。紀ノ川一帯は、橋本駅の駅前再開発事業とともに、親水堤などの護岸工事の最中だった。水は北岸に沿って、ゆったりと流れている。かつての古川さんの「試練跡」は、今、水深わずか2メートル前後、幅10数メートル。川底に石ころが透けて見える。古川少年が元気よく飛び込んだ岩場は、北岸から黒々と突き出し、はるか下流に橋本橋が見えた。あの前畑さん、あの古川さんが、子どもの頃、水と遊び、水と闘った場所。ここは南海電鉄・難波駅から特急で45分の近場。護岸工事などが完成すれば、続々と水泳ファンが訪れるに違いない。
どこぞより河童の声す春の水
(2011年3月1日、水津順風)