ニュース & 話題

織田信長の嫡孫・秀信公ものがたり「終焉の雷光」大和語りべ・やすきひろこさん「人権講演会」で上演♡客席から万雷の拍手♪

和歌山県橋本市在住の女優・大和語りべ=やすきひろこさんは11月30日、同市向副に眠る織田信長の嫡孫(ちゃくそん)・織田秀信公ものがたり「終焉の雷光~この身は向副に咲く月草となりて~」を同市学文路地区公民館で上演、市民から万雷の拍手を浴びた。

同ものがたりは「学文路地区人権講演会」として学文路地区人権啓発推進委員会と学文路地区公民館が初めて開催。家族連れや友人グループらで満席となった。

郷土史家・北尾清一さんによると、秀信は天正8年(1580)、織田信長の長男・信忠の長男として出生、幼名を三法師といい、本能寺の変で、父・信忠は自害。

三法師は羽柴秀吉の推挙で織田家を後継、安土城で成人の後、岐阜城主となり、秀吉の「秀」をもらって秀信と改名した。

 

さらに関が原の戦いで敗れて岐阜城に籠城、福島正則らの攻撃で落城。秀信は剃髪得度して高野山にのぼったが、祖父・信長が高野聖(こうやひじり)を迫害したため、聖派に追われ、山麓の向副村・善福寺の一隅に住み、村の娘と結婚、一子をもうけ幸せせな日々を送ったが、慶長10年(1605)5月に病没。26年の短い生涯を閉じたとされている。

 

やすきさんは沢山の資料を探して熟読、秀信公ものがたりを情実で描き、向副で妻となった女性2役をつとめ、ユン・ツボタジさん(パーカッショニスト)や筝曲家・山田裕子(やまだ・ゆうこ)さんの音響に合わせて、静かに、そして鮮やかに秀信公の心情を繰りひろげた。

 

秀信公の墓所は、国道371号南の丘陵地で「織田秀信公終焉の地」の立て看板があり、急坂を10数㍍のぼると、秀信の経歴を漢文調で刻んだ石碑(大正7年=1918年)や、文字が風化して見えない自然石の墓石が建っている。

やすきさんが「今朝、お参りしてきましたよ」と話すと、多くの家族連れらも「私たちも行きたい」と手を合わせていた。

 

写真は織田秀信公ものがたり「終焉の雷光~この身は向副に咲く月草となりて~」上演風景。


更新日:2025年11月30日 日曜日 22:44

関連記事

ページの先頭に戻る

  • 標準
  • 大
  • RSS
  • サイトマップ

検索

過去の記事