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米軍銃撃・橋本駅犠牲者の冥福と平和祈る♡故・阪口さんと共に人権サークルメンバーら

太平洋戦争末期、JR・南海「橋本駅」(和歌山県橋本市)で市民6人が犠牲になった米軍空爆から78年の7月下旬、同市人権サークルのメンバーらが、慰霊碑前にホオズキ(鬼灯)や高野マキ(槙)、清祥な花々を供え、犠牲者の冥福と世界平和を祈っている。

橋本駅の空襲は昭和20年(1945)7月24日早朝、米軍・艦載機が飛来。駅舎や停車中の松根油(しょうこんゆ)入りタンク積載の貨物列車などに機銃掃射。タンクが大爆発し、銃弾を浴びた乗客らが死傷した。

少年兵として過酷なシベリア抑留を体験した同駅近くの故・阪口重昭(さかぐち・しげあき)さんが戦後、人権委員会を立ち上げ、独自調査で確認した犠牲者=平林靖敏(ひらばやし・やすとし)さん(15)、恋中圭一(こいなか・けいいち)さん(47)、山本稔(やまもと・みのる)さん(38)、菅野廣雄(すがの・ひろお)さん(19)、海立節子(かいだて・せつこ)さん(20)、坂上貢(さかうえ・みつぐ)さん(14)=の氏名・年齢を石碑に刻んだ。

平成23年(2011)には電鉄側と交渉の上、弾痕が残る同駅・跨線橋(こせんきょう)の板壁などを丸山公園に移設保存。「追悼の碑と共に犠牲者の碑を建立した。

以来、戦後70年の命日まで毎年「追悼の集い」を営んだ。坂口さんは令和2年(2020)10月14日に92歳で病没。その後も坂口さんの友人知己らが参拝を続けている。

坂口さんの親友・池永恵司(いけなが・けいじ)さん(92)は慰霊碑に手を合わせ、「坂口さんと共に犠牲者のご冥福、世界平和を祈りました」と話していた。

写真(上、下)は慰霊碑に供えられたホオズキや高野マキ、紫の花。写真(中)は慰霊碑わきに掲示されている橋本駅の米軍銃撃の風景画。


更新日:2023年7月31日 月曜日 14:48

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