ニュース & 話題

ふる里ゆかりの石堂丸物語、大畑才蔵の活躍ぶり学ぶ♡橋本・学文路小児童~紀の川船着き場なども

世界遺産・紀伊山地の霊場と参詣道を学ぶ「子ども地域学習教室」(フィールドワーク)が11月26日、和歌山県橋本市学文路地区で開かれ、市立学文路小学校の5、6年生計26人が、高野山への旧・表参道など約3キロを歩き、石堂丸物語で名高い学文路・苅萱堂や紀の川・塩着き場など、ふる里の歴史を学んだ。

伊都振興局や高野七口再生保存会、地元有志らによる同実行委員会主催で、関係者が子どもたちを先導し、要所・要所でわかりやすく説明した。

塩着き場では、生活に欠かせない塩をここまで舟で運んだ。船着き場では、高野参詣の旅人を、ここまで運んだなどと話すと、子どもたちは、改めて紀の川をしっかり眺めた。

同川左岸では、江戸時代の治水の神様と崇められる大畑才蔵・顕彰碑を見学。才蔵は田畑へ引水するため、土地の高低を測る「水盛台」を考案。用水路をつくり、荒れ地や畑を水田に変え、藩財政の再建、人々の幸せに貢献したと教わった。

また、高野山真言宗・西光寺の田野賢朗(たの・けんろう)住職は、「石堂丸物語」の紙芝居を上演。このストーリーは筑紫の国(福岡県)の領主・苅萱道心(かるかや・どうしん)が高野山で修行。2番目の夫人(側室)・千里(ちさと)の一子・石童丸が、父と会いたさに母と共に高野山を目指した。

高野山は女人禁制のため、母を山麓の宿に残して道心に会ったものの、宿に戻ると母はすでに急逝。石童丸は道心の弟子となったが生涯、父子の名乗りはできなかったという親子哀話で、西光寺は、千里御前の菩提寺である。

梅本利樹(うめもと・としき)会長は「子どもたちにふる里の歴史を心に刻んでもらえました。これからも地域学習に力を入れたい」と話していた。

写真(上)は大畑才蔵の活躍ぶりを聞く子どもたち=顕彰碑前で。写真(中)は紀の川の塩着き場を眺める子どもたち。写真(下)は学文路・苅萱堂での記念撮影=実行委関係者と学文路小の子どもたち。


更新日:2022年11月26日 土曜日 18:48

関連記事

ページの先頭に戻る

  • 標準
  • 大
  • RSS
  • サイトマップ

検索

過去の記事