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橋本駅・空爆犠牲者6人の冥福と世界平和祈る♡米軍銃撃から77年~池永さんら亡き阪口代表とともに
太平洋戦争末期、JR・南海「橋本駅」(和歌山県橋本市)の米軍空爆から77年を迎えた7月24日、橋本駅米軍艦載機銃撃犠牲者追悼の会の池永恵司(いけなが・けいじ)さん(92)らが同駅北側の丸山公園の慰霊碑に献花、犠牲者6人の冥福を祈った。
これまで同慰霊碑を建立・供養を続けた同会の阪口繁昭(さかぐち・しげあき)代表は、令和3年(2020)10月に92歳で病没。共に貢献してきた池永さんと岩上茂富(いわがみ・しげとし)さん(82)の2人は、亡き阪口さんを胸に、犠牲者の冥福を祈った。
橋本駅空襲は昭和20年(1945)7月24日早朝、米軍・艦載機が飛来。駅舎や停車中の松根油(しょうこんゆ)入りタンク積載の貨物列車などに機銃掃射。タンクが大爆発して、銃弾を浴びた乗客らが死傷した。
阪口代表らは平成23年(2011)、電鉄側と交渉の上、弾痕が残る同駅・跨線橋(こせんきょう)の板壁などを丸山公園に移設保存。
「追悼の碑」(高さ約90センチ、幅約26センチ、厚さ約10センタ)を建立した。
阪口代表は独自調査で確認した犠牲者=平林靖敏(ひらばやし・やすとし)さん(15)、恋中圭一(こいなか・けいいち)さん(47)、山本稔(やまもと・みのる)さん(38)、菅野廣雄(すがの・ひろお)さん(19)、海立節子(かいだて・せつこ)さん(20)、坂上貢(さかうえ・みつぐ)さん(14)=の氏名・年齢を石碑に刻み、戦後70年の命日まで毎年「追悼の集い」を営んできた。
県立紀北工業高校・元教諭で、同駅近くに住む池永さんは「子どものとき、米軍機を操縦する米軍人を自宅の窓から目撃しました。
今後は唯々、戦争のない世界平和を祈っています」と話していた。
写真(上)は池永さんと岩上さんによる供花。写真(中)は在りし日の阪口さんを車いすに乗せて共に犠牲者の冥福を祈る池永さん=令和3年10月(本紙掲載済み)。写真(下)は橋本駅米軍艦載機銃撃犠牲者の慰霊碑。