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「命と人間関係が大切」♡作家・佐藤律子さん~橋本の県立紀北工業高校で人権教育講演

難病で二男を亡くした悲しい経験を持つ、和歌山県橋本市在住の作家・佐藤律子さん(70)は7月20日、二男の母校・県立紀北工業高校=神藤恭光(じんとうやすてる)校長=で、人命を尊重し合う人権教育講演を行い、生徒たちの未来に力強いパワーを与えた。

この日、佐藤さんは教室のスクリーンに、拓也君の描いた絵を紹介しながら、全教室にリモート配信で、拓也君の難病発症から、大変な闘病生活、逝去までの厳しい人生を紹介した。

拓也君は中学3年の1996年7月、「おかん(お母さん)、左足のひざが痛い」ともらした。

大阪の病院で診断の結果、「これは難病の小児がん(骨膜肉しゅ)で、すでに両肺に転移しています」と告知された。

翌年4月には県立紀北工業高校に入学したが登校できたのは、ほんの数日。病状は芳しくなく一時、危篤状態となり、奈良県五條市の病院へ入院した。

拓也君は卯の花の咲くころ、佐藤さんに「おとん(お父さん)と、魚釣りに行きたい」とねだる。その言い方が、普段と違ったので。佐藤さんは夫を説得。拓也君とともに夫の運転するマイカーで、高野山麓の清流「玉川峡」(紀伊丹生川)を訪れた。

夫は竿を持って、うれしそうに、岩場を渡る。拓也君は「おかん、見て、見て、おとん、楽しそうやろ」と言って、うれしそうに佐藤さんの顔を見上げた。

ところが同日、マイカーで帰宅途中、車内で激しく咳き込み喀血、そのまま入院して9月18日、16歳の若さで永眠した。

亡くなる少し前、佐藤さんは拓也君に、「私が、目をつむると気持ちのいい風が吹いている。だから拓也、大丈夫よ」と慰めた。

ベッドの拓也君は「そう。どっちにしても、もう一度、ぼくの命、女神さまの天秤にかけてみるよ」と答え、ゆっくり瞼(まぶた)を閉じて、そのまま意識は戻らなかった。

佐藤さんは、闘病中に拓也君が描いた「笑う門には福来たる」や、難病を叩きのめす「ボクサー」の絵などを紹介しながら、「人は何のために生きるのでしょうか。大事な仕事をするためには、生命が最も大切です。自分が必要とする人との出会い、人々とのつながりを大切にしてください」と話した。

生徒たちは「拓也君の絵を見るだけで、拓也君の闘病の心がわかる」「やはり命は最も大切で、人々としっかり生きたい」と話していた。

佐藤さんはベストセラー「種をまく子供たち(~小児ガンを体験した七人の物語~)などを出版しており、同校の「人権教育」依頼を快諾した佐藤さんは「拓也の厳しい闘病生活から、正しい生き方を知ってもらえたらうれしいです」と話していた。

写真(上、下)は県立紀北工業高校で講演かる佐藤律子さん。写真(中)は佐藤さんの「種をまく子供たち」などの出版物。


更新日:2022年7月21日 木曜日 00:10

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