ニュース & 話題

盆踊り懐かし、北又のイチョウ♡九度山町天然記念物~鎮守の杜に緑陰映えて

梅雨明けの炎天下の7月1日、和歌山県九度山町北又の鎮守の杜(ちんじゅのもり)で、ふる里の天然記念物・北又(きたまた)のイチョウ(銀杏)が境内に緑陰を映し、この舞台での盆踊りなど人々の豊かな歴史を感じさせた。

北又のイチョウは樹高約20メートル、枝張り約15メートル、幹周り約3メートル、樹齢約250年以上の巨木。

すぐそばには高野山近くの摩尼山(まにさん)を源流とする北又川が流れ、北又の銀杏の根は、北又川の地下水を飲む。

北又川は玉川(紀伊丹生川)や紀の川を経て紀伊水道へ注ぎ、やがて太平洋の水や雲となり、その雨の一部は摩尼山へ降る。

 

鎮守の杜近くの高齢者の話によると、第二次世界大戦後の北又は20数世帯・約100人の集落で、子どもたちは旧・久保小学校へ通学。

北又の銀杏そばの御堂内では、施餓鬼会(せがきえ)など仏教行事が営まれ、八朔(はっさく=旧暦8月1日)には、北又の銀杏の下で楽しい盆踊り。

若者たちが和太鼓を幹にくくりつけ、元気な撥(ばち)さばきで、伝統の「やっちょんまかせ」音頭をとり、他の集落からも訪れる、ゆかた姿の男女が、二重三重の輪になって、踊り明かした。

ところが、昭和28年(1953)7月18日の紀州大水害で北又川が氾濫、人命被害はなかったものの、家屋3軒が流失し、川沿いの道路は完全崩壊。大変な生活苦を強いられ、仏教行事は続けたものの、やむを得ず盆踊りに終止符を打ち、今は数世帯の小集落になっている。

この地域の歴史や自然に詳しい「玉川峡愛好会」の上西進(うえにし・すすむ)代表は「私も50年前には、ここで盆踊りをしました。ぜひ鎮守の杜に参拝され、北又のイチョウの木陰で、郷土の歴史を思い、地域を活気づけてほしい」と話していた。

写真(上)は鎮守の杜の北又のイチョウ。写真(中)は北又のイチョウの緑陰。写真(下)は炎天とイチョウの葉影。


更新日:2022年7月1日 金曜日 14:10

関連記事

ページの先頭に戻る

  • 標準
  • 大
  • RSS
  • サイトマップ

検索

過去の記事