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水嵩増えて梅雨間近♡高野山麓・紀の川〜渡し舟や参詣人偲ばせる

夜来の雨も止んだ5月14日、かって高野山・参詣人の往来した大橋や、渡し舟のあった、和歌山県橋本市の紀の川は、かなり水嵩(みずさ)も増えて、梅雨間近の歴史的な風景を繰りひろげていた。

ここは橋本橋のたもと。高僧・木喰応其(もくじきおうご)上人が天正15年(1587)、初めてここに架橋したが、3年後には豪雨のため流失した。

以来、昭和7年(1932)の架橋(今の橋本橋の前の橋)まで橋はなく、宝暦2年(1752)、同川南岸には三軒茶屋大常夜灯籠、文化11年(1814)には同川北岸に東家大常夜灯籠が建立され、高野参詣人は、昼夜を問わず、渡し舟を頼りにした。

今は新しい橋本橋と、南海高野線の鉄橋が架かり、高野参詣人は、マイカーや電車でスピーディーに往来している。

この日、常夜灯籠も堤の草藤(くさふじ)の花も、夜来の雨にびっしょ濡れで、南海鉄橋の下では、大量の水が滔々と流れ、往時の逞しい渡し舟と、京都・大坂方面から訪れる旅人の姿を偲ばせていた。

写真(上)は水嵩の増した南海高野線・鉄橋下の紀の川。写真(中)は橋本市東家の紀の川北岸に立つ常夜灯籠=手前は支流の橋本川。写真(下)は橋本橋下流の岩場で逆巻く濁流。


更新日:2022年5月14日 土曜日 23:40

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