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橋本駅・犠牲者6人慰霊♡7月24日・米銃撃75年

太平洋戦争の末期、和歌山県橋本市古佐田のJR・南海「橋本駅」構内で、市民6人が米軍機の機銃掃射で犠牲になって75年――。
橋本駅米軍艦載機銃撃犠牲者追悼の会=阪口繁昭(さかぐち・しげあき)世話人代表(92)=は、その命日にあたる7月24日朝、同駅北側の丸山公園内で、会員だけの「追悼慰霊の集い」を営む。
橋本駅の空襲は、米軍・艦載機が飛来。駅舎や停車中の松根油(しょうこんゆ)入りタンク積載の貨物列車に機銃掃射。タンクが大爆発、銃弾を浴びた市民が死傷した。
阪口代表らは平成23年(2011)、弾痕が残る同駅の板壁などを丸山公園に移設保存して、「追悼の碑」(高さ約90センチ、幅約26センチ、厚さ約10センタ)を建立。
独自調査で確認した犠牲者の平林靖敏(ひらばやし・やすとし)さん(15)、恋中圭一(こいなか・けいいち)さん(47)、山本稔(やまもと・みのる)さん(38)、菅野廣雄(すがの・ひろお)さん(19)、海立節子(かいだて・せつこ)さん(20)、坂上貢(さかうえ・みつぐ)さん(14)の氏名と年齢を石碑に刻んだ。
以来、戦後70年・命日まで毎年「犠牲者慰霊追悼の集い」を営み、行政、議会、地区役員ら大勢が参列して合掌。翌年以降、会員は80歳以上の高齢のため、質素に慰霊を続けてきた。
今回は命日前日、会員5人程で周辺の草刈り、清掃を行い、24日午前10時から供花、自分たちで読経・合掌する。最後に同会会員で古佐田老人クラブの池永恵司(いけなが・けいじ)会長が、自分の子供時代の橋本駅・機銃掃射の記憶や思い、地元女性の当時の体験話などを綴った追憶文を読み上げて往時をしのぶ。
阪口世話人代表は「犠牲者のご冥福と共に二度と戦争を起こさないよう祈りたい」と述べ、池永会長は「今年は新型コロナ感染防止のため、簡素に執り行います。もしも公園内を散策して、祈りを手向けたい方々には、ぜひ、マスク装着などをお願いします」と話していた。
写真(上)は橋本駅で銃撃被害に遭った犠牲者の追悼の碑や多数弾痕のある同駅の板壁。写真(中)は犠牲者6人の氏名が刻まれた追悼の碑。写真(下)は慰霊碑を見守る地蔵尊。


更新日:2020年7月12日 日曜日 00:00

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