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幸村ら颯爽と武者行列!真田まつり「鬨の声」響く

戦国武将・真田幸村ゆかりの和歌山県九度山町入郷の道の駅「柿の里くどやま」芝生広場で、5月5日、伝統の「紀州九度山真田まつり」(実行委員会主催)が開かれ、真田昌幸・幸村父子、嫡男・大助に扮した武将がまたがる3頭の馬を先頭に約200人の武者行列が〝幸村の里〟を練り歩き、大勢の観光客を堪能させた。
幸村は「関が原の戦い」で、父の昌幸(まさゆき)と共に豊臣秀吉方についたが、軍配は徳川家康方にあがり、紀州・九度山に閉居。大坂の陣・出陣までの14年間を高野山麓の紀の川畔で過ごした。
この日、道の駅「柿の里くどやま」芝生広場での出陣式で、実行委員会の岡本章(おかもと・あきら)会長(町長)が大勢の参加者に謝辞を述べ、長野県上田市の母袋創一(もたい・そういち)市長が来賓代表挨拶で、真田家ゆかりの上田市と九度山町の一層の交流を深めたいと誓った。
この後、紀州真田太鼓保存会の腹に響く「真田出陣太鼓」を合図に、先頭は笠田高校吹奏楽部、続いて馬上の真田昌幸、幸村、大助、さらに真田十勇士、手作り甲冑隊、雑賀衆(孫市の会)、少年による幸村、大助、十勇士、鉄砲隊、槍隊、少女薙刀(なぎなた)隊などが勇壮に出発。
雄々しい陣羽織や鎧兜(よろいかぶと)姿の行列は、カラフルな約100匹の鯉幟(こいのぼり)が泳ぐ紀伊丹生川の橋を渡り、「真田のみち」(九度山商店街)を通って、南海高野線・九度山駅前の交差点で折り返し、真田庵までの約2キロを練り歩いた。
紀州九度山真田鉄砲隊の梅下修平(うめした・しゅうへい)・西辻香(にしつじ・かおり)正副隊長らの面々は、途中幾度となく立ち止まり、「エイエイオー」と鬨(とき)の声を上げると、戦国ムードでいっぱい。
沿道の見物客は、カメラやスマホで必死に撮影して、「さすがに幸村の里、活気がある」「戦国時代にタイムスリップできた」などと口々に話していた。
写真(上)は真田昌幸、幸村、大助の順に練り歩く武者行列。写真(中)は朝日放送ラジオの上ノ薗公秀(うえのその・きみひで)さんが扮した馬上の真田幸村。写真(下)は元気に鬨の声を上げる少年武将たち。


更新日:2017年5月5日 金曜日 16:34

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