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あぁ戦友よ!阪口体験談を放送~15日FMはしもと

太平洋戦争・シベリア抑留を経験した阪口繁昭(さかぐち・しげあき)さん(88)=和歌山県橋本市古佐田=の貴重な体験談が、終戦記念日の8月15日(月)、橋本・伊都地域の放送局「FMはしもと」=向井景子(むかい・けいこ)社長=で放送される。中野豊信(なかの・とよのぶ)報道部長(68)は「阪口さんの生々しい体験談から、戦争の残酷さ、平和の尊さを、心に刻んでほしい」と訴えている。
阪口さんは昭和19年(1944)、満蒙開拓青少年義勇軍に入隊。その直後に関東軍から陸軍二等兵を命じられ、中国・ソ連の国境で転戦。同20年(1945)8月にソ連の捕虜にされ、シベリアまで約370キロを連行途中、戦友が空腹と疲労で次々倒れる。シベリアでは零下30度の厳寒の中、石炭堀りや鉄道建設、森林伐採などの重労働を強いられ、食べ物は黒パン一切れと塩スープだけ。多くの戦友が命を落とした。阪口さんは2年余の苦難を乗り越え昭和22年12月に帰国。頭に被弾したことで、左耳は聴こえないが、各地域や各学校などの要望に応えて、戦争体験を伝えている。
「FMはしもと」(81・6メガヘルツ)では、終戦記念番組「阪口さんの戦争体験 シベリア抑留」というタイトルで、その「前編」を8月15日午前9時10分頃~同45分、「後編」を8月16日(火)午前9時10分頃~同45分に放送。その「全編」は8月15日午後4時~同5時に放送する。
この終戦記念番組は昨年9月、中野報道部長とパーソナリティのワンネス・カレンさん(45)が企画。スタジオに阪口さんを招いて質問し、綿密に音声収録した。中野報道部長は編集段階で、自分たちの声をすべてカットし、阪口さんの心情のにじみ出た独白的な音声とし、バックには「我が祖国」(スメタナ作曲)より「モルダウ」という交響曲を流している。
阪口さんの体験談は、ほとんど割愛できない話ばかりで、とくに終盤の一幕はすごい。シベリアで隊長(日本兵)が、皆に作らせた抑留日本兵の住所、氏名を書いた極秘の「戦友名簿」を、やっと帰国できることになった阪口さんに託し、「みんな元気でいると伝えてくれ」と命令。ソ連兵に見つかれば、絶対に銃殺は免れない。阪口さんは「戦友名簿」を足のふくらはぎに貼り付け、ゲートルで巻いて隠し帰国するのだが…。
終戦記念日を間近に「FMはしもと」を訪れた阪口さんは、編集された自分の声を聞いた後、「シベリアでは今なお幾万もの戦友が眠っています。何とかならないものか、ほんとうに何とか…」と、胸をつまらせ、涙声になる。
ワンネス・カレンさんは「阪口さんのお話を聞くと、母性として、子供たちには、こんな悲惨な体験はさせられない、そんな思いがこみ上げます」と話し、中野報道部長も「戦争体験者は高齢化し、私たちは戦争証言を聞けなくなっています。とくに阪口さんのシベリア抑留体験談は、二度と聞けない貴重なお話です」と力説していた。
写真(上、下)はシベリアで過酷な労役に駆り出される日本兵の絵と戦友の最期を看取る戦友たちの絵=いずれも3年前、エルおおさか(大阪府立労働センター)で開かれた「戦争を考える展」より。写真(中)は「FMはしもと」で編集された自分の声を聞く阪口さん=中央=と中野報道部長、ワンネス・カレンさん。


更新日:2016年8月4日 木曜日 00:00

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