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会館建設に功労・楠本さんの胸像♪半世紀ぶり里帰り

昭和43年(1968)、和歌山県橋本市東家に新築オープンした橋本市民会館に飾られていた会館建設・功労者の故・楠本恒太郎(くすもと・つねたろう)さんのブロンズ胸像が、6月6日、橋本市から楠本さんの実家で孫にあたる元会社員・楠本史郎(くすもと・しろう)さん(77)方=同市清水=に譲渡された。史郎さんは「尊敬する祖父が半世紀ぶりに里帰りしてくれたようで、とてもうれしいです」と話し、胸像を仏間・座敷に飾ることにした。
恒太郎さん=明治11年(1879)9月~昭和37年(1962)=は、農林業で旧・学文路村村長や旧・郡会議員、旧・農会議員などの要職を歴任。恒太郎さんが病没した後、長男で当時市会議員だった正夫(まさお)さん(故人)が、橋本市に対し「市民のために役立ててくれ、と言った父・恒太郎の遺志」として、1000万円を寄付した。
同市は昭和43年5月、恒太郎さんの寄付を含む総工費約2億円で、橋本市民会館(鉄筋コンクリート建て3階、一部4階建て)を建設。同市は恒太郎さんの遺志に感謝して、恒太郎さんの正装・ネクタイ姿のブロンズ胸像を制作。会館1階の会議室や、2階の貴賓室に飾ってきた。
当時、橋本市民会館は「素敵な市民の集いの場」と讃えられ、オープン式典では当時の故・向井久朋(むかい・ひさとも)市長が「恒太郎氏の寄付金のお陰で、それを機に多くの建設資金が集まった」として、正夫さんに感謝状を贈呈。
来賓の故・山口喜久一郎(やまぐち・きくいちろう)元衆議院議長や、故・坊秀男(ぼう・ひでお)代議士(後に大蔵大臣)も絶賛した。間もなく、郷土の声楽家・澤村テルさんの独唱、NHKのど自慢大会、演劇、舞踊、漫才・落語など、多彩な催しが開かれてきた。
この日、楠本史郎さん方の座敷テーブルに運ばれた恒太郎さんのブロンズ胸像は、高さ約55センチ、幅約50センチ、重さ約20キロの等身大で、綺麗に磨かれた青銅色。
近所にある高齢者の交流拠点「くにぎの郷(さと)」代表の高津博(たかつ・ひろし)さんが「恒太郎さんのブロンズ胸像は、市民会館にあるのもいいが、長い将来を考えると、ご実家に飾られるのもいいのでは」と提案、実現したという。
ブロンズ胸像を届けた橋本市管材課の森本芳克(もりもと・よしかつ)課長は「これを契機に橋本市民会館が、市民貢献のお陰で建設されたことを知ってもらえたら」と説明。
史郎さんは妻の美知子さん(72)と共に、恒太郎さんの胸像を眺めながら、「昔、地域貢献していた祖父を、今も尊敬しています。ブロンズ胸像は仏間・座敷に飾って、家族ともども冥福を祈りたい」と感謝していた。
写真(上)は楠本恒太郎さんのブロンズ胸像と左から楠本史郎さん美知子さん夫婦、高津さん、森本課長。写真(中、下)は約半世紀ぶりにブロンズ胸像で「里帰り」した恒太郎さん。


更新日:2016年6月7日 火曜日 00:00

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