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前畑秀子〝朝ドラ誘致〟協力誓う~橋本・岐阜両市長

日本女性初のオリンピック水泳金メダリスト・前畑秀子(まえはた・ひでこ)さんや、織田信長の嫡孫(ちゃくそん)・織田秀信公かりの和歌山県橋本市と岐阜県岐阜市が、近年友好を深め、2月2日、岐阜市の細江茂光(ほそえ・しげみつ)市長ら一行が橋本市役所に平木哲朗(ひらき・てつろう)市長を表敬訪問して、両市の発展と前畑さんの「朝ドラ誘致運動」などに協力することを誓い合った。
前畑さん(1914~1995)は橋本市出身。郷土の紀の川で水泳の力を育み、名古屋市の椙山(すぎやま)女学園で鍛錬。ベルリン・オリンピック(1936年)水泳女子200メートル平泳ぎで見事、金メダルを獲得。昭和12年(1937年)に開業医と結婚、同21年から夫が逝去する平成7年(1995)まで岐阜市で暮らした。橋本市名誉市民。
一方、秀信は天正8年(1580)、織田信長の長男・信忠の長男として出生。羽柴秀吉の推挙で織田家を後継、岐阜城主となった。関が原の戦いで敗退し、剃髪得度して高野山に登るが、祖父・信長が高野聖を迫害した報いで、聖派に追われ、山麓の向副村に閑居。村人の情で善福寺に住み、村の娘と結婚、一子をもうけ、幸せな日々を送った。慶長10年(1605)、26歳の若さで病没したとされる。
この日、橋本市の市長応接室に、岐阜市側から細江市長と同市幹部、市議ら計7人、橋本市側から平木市長と中本正人(なかもと・まさと)市議会議長、同市幹部ら9人が参集した。
橋本市教委の海堀不二夫(かいぼり・ふじお)文化・スポーツ室長が、前畑さんと秀信の来歴、さらに橋本市で「前畑秀子朝ドラ実行委員会」(36委員)を結成、署名活動を行っていることなどを説明。
昨年2月には平木・橋本市長が、細江・岐阜市長を表敬訪問して、誘致支援を要請。今回も歓迎挨拶で「シティセールス(都市宣伝)の意味でも、ご協力をお願いしたい」と話すと、細江市長は「ぜひ支援したい」と快諾した。
この後、文化・スポーツ室の大岡康之(おおおか・やすゆき)主幹(学芸員)らが、細江・岐阜市長と市幹部2人を、先ず橋本市向副区の「織田秀信公墓伝承地」に案内。細江・岐阜市長は、堂本昌義(どうもと・まさよし)区長ら約10人の出迎えを受け、墓前に線香をあげて、静かに合掌。さらに秀信公が家族と住んだ善福寺の本尊・薬師如来像と位牌を祀る観音寺を訪れ、秀信公一家の冥福を祈った。
この後、車で紀の川南岸を走り、前畑さんが子どもの頃、〝飛び込み岩〟からダイビング、自らを育んだ北岸一帯を眺望。最後に同市御幸辻の杉村公園内・橋本市郷土資料館で、前畑さんの水着、写真、メダルなどの展示コーナーを観覧。紀の川に飛び込む前畑さんの姿や、その体格の素晴らしさに驚いていた。
出迎えた同実行委員会の松田良夫(まつだ・よしお)副委員長(元教育長)ら約10人は「細江・岐阜市長が前畑さんコーナーを見てくれてうれしい」「ぜひ協力して朝ドラを実現したい」などと心を引き締めていた。
写真(上)は橋本市資料館で前畑秀子さんコーナーを観覧する細江・岐阜市長。写真(中)は握手して協働を誓う平木・橋本市長=左と細江・岐阜市長。写真(下)は織田秀信公の墓前で手を合わせる細江・岐阜市長。


更新日:2016年2月3日 水曜日 00:00

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