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初秋♪西行・妻娘を偲ぶ~丹生都比売神社近く

平安時代末期の歌人・西行法師(さいぎょうほうし)を祀る、和歌山県かつらぎ町天野の「西行庵」と「妻娘(さいし)の塚」は、初秋の観光シーズンを迎えて、全国から訪れる人々が手を合わせ、冥福を祈っている。
西行法師=本名・佐藤義清(さとう・よしきよ)=は出家して高野山に滞在。妻は女人禁制で高野山に登れず、康治元年(1142)頃、天野に庵(いほり)を構え、尼僧となって生活し、やがて15歳の娘も、尼となって一緒に住み、ここで生涯を終えた。西行法師は、高野山と下界を行き来する際、この庵で妻娘と団欒(だんらん)を楽しんだとされている。
今の西行庵は、昭和61年(1986)に、もともとの平坦な場所から、すぐ近くの小高い場所に再建。約3メートル下の斜面には、昔ながらの「妻娘の塚」が2つ並んでいる。天野の里人が平安時代末期から、幾度となく西行庵の再建を繰り返し、妻娘の塚には、小菊などの供花を続けてきた。さらに、西行法師の歌「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」という心を思い、桜の植樹にも力を入れてきたという。
西行庵のすくそばの山を所有する元教員・西村昌司(にしむら・まさし)さん(61)は、草が生い茂るこの季節、西行庵周辺で草刈り奉仕。「今の西行庵は新しい建物ですが、この妻娘の塚は昔のままだと思います。今でも里人が供花を欠かしていません。この前を通る里道は、高野山参詣の町石道につながっているので、かつては多くの参詣人が往来し、西行庵でも手を合わせたことと思います」と話した。
天野は、弘法大師・空海に高野山を貸与した世界遺産・丹生都比売(にうつひめ)神社=丹生晃市(にう・こういち)宮司=があることで名高い。観光客は先ず同神社に参拝し、その帰りに西行庵に立ち寄って合掌。西行法師とその妻娘を心静かに偲んでいる。
なく虫の 草にやつれて いく秋か
    あまのに残る 露のやどりぞ
(江戸時代の西行研究家・似雲=じうん=作)
写真(上)は西行法師を祀る西行庵。写真(中)は供花も素朴な昔のままの西行法師の妻娘の塚。写真(下)は西行庵の下方にたたずむ妻娘の塚。


更新日:2015年9月5日 土曜日 00:00

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