ニュース & 話題
戦中戦後・涙の体験~文集発行~はしもと女性連絡会
戦争の悲惨さと平和への願いを次世代へ伝えようと、和歌山県橋本市の「はしもと女性連絡会」=後藤加寿恵(ごとう・かずえ)会長=は、高齢女性の方々の戦争体験談をまとめた同会創立30周年記念文集「戦中戦後を生きぬいた女性たち」を発行した。記念文集は、橋本図書館や市内の小中高校などに配布し、後藤会長は「とくに若い方々には、ぜひ、読んでいただき、戦争体験者の心を知ってほしい」と話している。
記念文集(24ページ)は、書家の後藤会長が題字を書き、きりえアーティスト・柳沢京子(やなぎさわ・さよこ)さんの切り絵で装丁。編集委員の伊藤小夜子(いとう・さよこ)さんら12人が編集を担当した。
中身は、橋本市内に在住か出身者で、80歳代~102歳の20人の戦争体験を掲載。うち16人は自ら執筆、残る4人は聞き取り取材でまとめた。表紙には柳沢さん作の「ホーム炬燵(こたつ)で針仕事をする母親」の切り絵、それぞれの手記にも「かまどの火をふいごで起こす女性」や「部屋ではしゃぐ子供たち」などの切り絵で飾られている。
最高齢の橋本市御幸辻の贄川輝代(にえかわ・てるよ)さん(102)は「戦中戦後 教師として」(聞き取り)の題で、「女学校を卒業後、羽曳野中学校に勤めた」が「戦争で父母を亡くす子供がいた」ことや、「夜も畑を耕し、サツマイモなどを植え、自分で編んだ草履をはいた」こと、「子供たちが戦場に行かないように祈っていた」ことなどを紹介。戦後「日本人はよく働いた」と讃え、「現在の日本は平和である。この平和がいつまでも続いて欲しいと願ってやみません」と結んでいる。
後藤会長は巻頭文で「戦争の悲惨さと平和の尊さを後世に語り継ぐために」と題し、「高齢の為、もう記憶がうすれてしまった方や、病弱で聞き取りさえ叶わないという方もおられる中、ここに掲載させていただいた方々は皆、後世に言い伝えなければ、という強い使命感を持ってペンを執って下さいました」と説明。
また、「銃後の守り、という言葉は、現代の若者には通じないと思いますが、父や夫や兄を戦場に見送った陰で、女、子どもたちはどんなに苦しい日常を送ることを余儀なくされたか、この寄稿文からひしひしと伝わってくることでしょう。ぜひ次世代を担う若い人たちに読んでいただくことを切に願います。そして、どうすれば平和を守ることが出来るかということを常に念頭において行動して欲しいと思います」と希望。
最後に「封印していた辛い記憶を思い出し、涙ながらに書いて下さった皆様に心から感謝申し上げ、この冊子を出来るだけ多くの方々に読んでいただけるよう努力する所存です」と謝辞で締めくくっとている。
記念文集は300冊発行。問い合わせは橋本市東家2の6の8、後藤加寿恵会長(電話=0736・32・1038)へ。
記念文集に掲載された皆さんは次の通り。「後世に語り継ぎたい!戦時を夢中で生きた青春」田倉妙子(87)、「私の戦争体験」水浪純(80)、「農業が生きがい」菊澤万亀子(84)、「第二次世界大戦中にあったこと、感じたこと」岩坪葉子(82)、「戦時中の思い出」刀禰濱子(96)、「おかあさんの木」井元千津(89)、「集団疎開の思い出」中川澄子(90)、「戦中戦後教師として」贄川輝代(102)、「農家の手伝い」中谷治子(82)、「満州での子ども時代」北川末子(83)、「青かった空」桜井志代子(81)、「結婚二十四日目の招集令状」久保田喜世子(96)、「私の軌跡」萱野昌子(87)、「こころの花」赤坂文代(80)、「戦後七十年を迎えて」寺阪カオル(90)、「戦争一色の青春時代」岩手貞子(90)、「戦前、戦中、戦後の思い出」山本富恵(93)、「九条を死守しよう」瀧井茂子(87)、「戦中戦後に私の食べたもの」北芝美智子(83)、「北朝鮮脱出記」田中衣子(82)。
写真(上)は発行した記念文集「戦中戦後を生きぬいた女性たち」を披露する後藤会長。写真(中、下)は同文集の表紙と中身を飾る柳沢京子さんの見事な切り絵。