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「同情者芳名録」保存依頼へ~山陽線事故・児童ら犠牲
昭和13年(1938)の山陽本線・列車事故で、修学旅行中の和歌山県橋本市の橋本尋常小学校の児童27人と引率教諭3人が犠牲になってから、6月15日で満77年になる。地域ボランティアの阪口繁昭(さかぐち・しげあき)さん(86)は、大惨事の後、御香典や御供花などの寄贈者の氏名を記した「列車遭難同情者芳名録」を保管しているが、「これは非常に貴重な郷土資料である」として、15日(月)には地元の丸山公園内にある同列車事故・犠牲者慰霊・地蔵菩薩像に参拝、公共施設に寄贈、保存を依頼することにした。
この事故は、午前3時56分頃、岡山県の山陽本線・熊山駅~和気駅間で、長雨による築堤崩壊で、機関車・列車が脱線転覆。そこへ修学旅行中の橋本尋常小学校の児童らを乗せた列車が衝突、同小児童18人と教諭3人が犠牲となり、後日、児童9人が死亡した。
「列車遭難同情者芳名録」はB5判64ページで、ガリ版刷りの手作り製本。縦書きで上部に「一、金五百円」などと金額、下部には団体名や個人名を記入。その数は全国の学校、幼稚園、小学校、愛国婦人会、軍隊、会社、商店、農漁業など1000件(団体・個人)以上にのぼり、金額は1人か1団体で1円~500円の御香典のほか、御供花、お菓子など詳細に表記。橋本市出身のオリンピック史上・日本女性初の金メダリスト、水泳の兵藤(旧姓・前畑)秀子=ひょうどう・ひでこ=さんの御芳名もある。
当時の1円は現在の3000~4000円に値(あたい)すると言われ、その御芳志人数、金額などから、犠牲者への同情の深さがうかがえる。
阪口さんの説明では毎年、御供養を営んできた犠牲者の同窓生の「六友会(ろくゆうかい)」世話人代表・宮田泰弘(みやた・やすひろ)さん(故人)が、この「列車遭難同情者芳名録」や、昭和15年の法要でしたためた平井國太郎(ひらい・くにたろう)元橋本町長の追悼文、同25年の土生信治(はぶ・しんじ)同助役の祭文などを保管。昭和35年6月15日には、地元の丸山公園内に同列車事故の犠牲者慰霊・地蔵菩薩像を建立した。平井・元町長の追悼文には「せめてもの此の町 この世を挙げての 涙を饗(う)けて 永久に安らかに(前後略)」と祈りの心が綴られている。
元・橋本町青年団長の阪口さんは、大先輩の宮田さんの遺志を受け継ぎ、地元有志とともに70回忌を営み、地蔵菩薩像の供花や清掃奉仕に尽力。今年2月には、宮田さんの御遺族からの依頼で、「列車遭難同情者芳名録」や追悼文、祭文などを保管していた。
阪口さんは、「児童・教諭計30人もの尊い命が犠牲になった大惨事なのに、今では、この事故を知っている市民は、ほとんどいません。犠牲者や遺族の悲しみを無にしないためにも、この資料を永久保存していただき、列車事故のないよう祈ります」と話した。
写真(上)は貴重な「列車遭難同情者芳名録」。写真(中)は「列車遭難同情者芳名録」や追悼文、祭文の保存依頼を考える阪口さん。写真(下)は芳名録の中には兵藤秀子さんの御芳名もある。