ニュース & 話題

〝かむろ木偶(でこ)〟伝えたい~岩橋さん資料作成

日本の伝統芸能・人形浄瑠璃(じょうるり)が、明治・大正時代、和歌山県橋本市学文路で、大きく花開いた素敵な民俗史――。元・学文路郵便局長で俳人の岩橋哲也(いわはし・てつや)さんは、2月11日、その郷土史を「ふるさと再見市民講座」で講演する資料をまとめた。岩橋さんは「とくに橋本市民には、娯楽が少ない時代、庶民は人形浄瑠璃を通して、楽しい日々を過ごしたことを知ってほしい」と言っている。
岩橋さんの説明によると明治中期、本場の兵庫県・淡路島からきた人形浄瑠璃の「小林六太夫(こばやし・ろくだゆう)一座」(約30人)が、学文路地区で公演。学文路は紀の川に三十石船が運航されており、高野山の表参道の宿場町で、わりあい富裕層が多く、後の映画・演劇と同じく、人形浄瑠璃を愛した。
やがて、同一座が去った後、座員の一人、木偶辰(でこたつ)という男性が、学文路の女性と結婚し、地元住民の小林仲助(こばやし・なかすけ)さんや、堀江平右衛門(ほりえ・へいうえもん)さんらのリードで、「かむろ木偶(でこ)」という一座(約10人)を結成した。
座員は素人衆だったが、これまで以上に、伊都地方で人形浄瑠璃を披露。外題は名高い「忠臣蔵」「太閤記」「お染久松」などで、そのうち単なる娯楽ではなく、公演目的は「神いさめ」「雨乞い」などに変化。これを地元の八坂神社や、樋(ひ)を抜いた大池、紀の川の川原で実演すると、人々は樹上や堤防などから見物、喝采したという。
座員の中でも、とりわけ小林さんは、舞台の背景の幕絵を描く画家として優れ、その絵の遠近感の素晴らしさが、人形の物語性を際立たせて、観客は泣いたり、笑ったり…。
それでも、木偶人形の修理代は桁外れに高い。酒屋、米屋、醤油屋の主人らが、木戸銭(きどせん=観覧料)なしで公演。やがて経済的に難しくなり、同一座は大正9年(1920)、ついに解散。学文路地区に残っていた人形浄瑠璃の人形約200体が、淡路島の人形浄瑠璃・関係者に引き取られ、その歴史はすっかり忘れられようとしていた。
たまたま昭和末期、人形浄瑠璃の人形1体が、地元農家の蔵に残存していることがわかり、岩橋さんはこれを引き取って、「ぜひ、歴史的史料として、永久保存してほしい」と、橋本市に人形の頭、胴、手足、衣装、演台、浄瑠璃本を寄託。同市は徳島の名だたる人形師に修復してもらい、今は同市御幸辻の橋本市郷土資料館に保存展示している。
岩橋さんは、いろんな講師がさまざまなテーマで、何回にもわたって、講座が繰り広げられる、「ふるさと再見市民講座」の中で、5月23日午後1時半~同3時、「人形浄瑠璃~かむろ木偶の歴史~」と題して、講演することになっている。
岩橋さんは、「かむろ木偶の一座を結成した小林仲助は、私の祖祖父にあたります。それだけに、私も人形浄瑠璃への愛着は深く、学文路と人形浄瑠璃との関係や、そのお陰で人々が楽しく交流し、生き生きと暮らしていたことを伝えたい」と話した。
写真(上)は橋本市郷土資料館に保存展示されている岩橋さん寄贈の浄瑠璃人形。写真(中)は祖祖父が大切にしていた浄瑠璃本を見る岩橋さん。写真(下)は同館に保存展示中の浄瑠璃本。

更新日:2015年2月12日 木曜日 00:00

関連記事

ページの先頭に戻る

  • 標準
  • 大
  • RSS
  • サイトマップ

検索

過去の記事