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3少女、追悼碑の清掃・供花に協力~阪口代表が感謝

太平洋戦争の末期、和歌山県橋本市のJR・南海「橋本駅」で、米軍機の機銃掃射により犠牲になった市民6人の追悼碑に、阪口繁昭(さかぐち・しげあき)・追悼の会世話人代表(86)が、清掃・供花奉仕に訪れた際、居合わせた県立古佐田丘中学校の女生徒3人が、約40分間にわたって清掃・供花に協力した。女生徒たちの親切に阪口代表は感激し、その奉仕活動ぶりを撮影して、中学校に写真を提供、「女生徒たちの気持ちが、うれしくてたまりません」と、感謝の報告をした。

橋本駅の空襲は昭和20年(1945)7月24日朝、米軍・艦載機が機銃掃射。武器を持たない、まったく無防備の市民を、いとも簡単に殺傷した。

「橋本駅米軍艦載機銃撃犠牲者追悼の碑」の石碑には、10代の少年3人と、学校教諭1人を含む市民6人の犠牲者の氏名、当時年齢が刻まれ、銃弾跡が残る橋本駅の板壁も一部移設されている。

これは、阪口代表ら市民有志が、平成23年から同24年にかけて建立。以来、阪口代表が私費で献花、周辺清掃を続けている。

今回の話題の主人公は、古佐田丘中学校(いずれも3年生)の田中佑佳(たなか・ゆうか)さん、小林美優(こばやし・みゆ)さん、岩根朱里(いわね・しゅり)さん=順不同=の3人。

阪口代表の話によると、普段通り花屋さんで、高野槇(こうやまき)や小菊などを購入して、バイクで追悼碑前へ到着。そこで清掃を始めたところ、たまたま放課後、公園に居合わせた田中さんら3人が、「おじさん、手伝ってあげる」と言う。阪口さんは、喜んで協力を頼むと、3人は公園に敷き詰めていた沢山の枯葉を拾い集めたり、追悼碑に丁寧に供花してくれたり。最後には手を合わせて、犠牲者の冥福を祈ってくれた。

古佐田丘中学校は橋本高校との「中高一貫校」で、橋本高校の生徒たちは、普段から郷土に貢献。例えば追悼碑前での「追悼の集い」では、吹奏楽部が演奏、交通安全・防犯啓発の置き傘・置石運動では野球部がイラスト描き、JR橋本駅「ゆかいな図書館」では、生徒会が図書整理・清掃などに尽力。

古佐田丘中学校・美術部は、高僧・応其上人の紙芝居を制作して、子供たちに披露している。それだけに阪口代表は、今回の女生徒3人の協力にも感激し、学校の事務局長や教頭先生らに感謝の報告をした。

小林さんは「阪口さんと出会ったお陰で、橋本駅での米軍・銃撃の歴史を知ることができ、追悼碑にお祈りもできた」と述べ、田中さんも「阪口さんは、この惨劇を次世代に伝えようとされているので、私たちも語り継ぎたいと思います」と、爽やかな表情で話した。

阪口代表は「小さな親切」運動本部(東京)特任推進委員も務めていて、「こういった〝小さな親切〟こそが、郷土を良くしていくので、運動本部には、古佐田丘中学校・橋本高校の生徒たちの貢献ぶりを報告したい」と語った。

写真は、追悼碑前で供花・清掃奉仕をした古佐田丘中学校の田中さん、小林さん、岩根さん=写真は阪口繁昭代表・撮影。

更新日:2014年10月15日 水曜日 00:04

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