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織田秀信公・墓所~まち歩きツアー~写経体験も

NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」(平成11年)で脚光を浴びた、和歌山県橋本市にある織田信長の嫡孫(ちゃくそん)・織田秀信(ひでのぶ)公の墓所見学や、国の重要文化財・利生護国寺(りしょうごこくじ)での写経体験などを楽しむ「まち歩きツアー」が、5月31日(土)、橋本市観光協会の立案・後援、紀和観光案内所の企画・実施で行われる。畑野富雄(はたの・とみお)観光協会長は「風薫る季節、橋本の名所旧跡をご覧ください」と、参加を呼び掛けている。

当日は午前9時15分、南海JR橋本駅前に集合。同駅前を出発して利生護国寺で写経体験をした後、「うまい」と人気の九鬼善(くきぜん)で昼食。さらに安土桃山時代、橋本を築いた木喰応其上人(もくじきおうごしょうにん)を祀る応其寺を拝観。

近くのまちかど博物館で、オリンピック金メダリスト・前畑秀子(まえはた・ひでこ)生誕100周年・記念展を見た後、紀の川・橋本橋を渡り、往時の高野山参詣の黒河道(くろこみち)入口にある定福寺(じょうふくじ)へ参拝。最後に織田秀信公の終焉の地の寺院跡・墓所を見学、南海JR橋本駅に戻り解散する。ほとんど平坦な道が続く、約7・8キロのコースで、観光ガイドの会会員が案内することになっている。

▽織田秀信の終焉の地=秀信は天正8年(1580)、織田信長の長男・信忠の長男として出生。本能寺の変で、父・信忠が自害。秀信は羽柴秀吉の推挙で織田家を後継、岐阜城主となった。関が原の戦いで、西軍方につき敗北。剃髪得度して高野山へのぼったが、信長が高野聖を迫害した所業により、受け入れられず、山麓の向副村に閑居している。
▽重文・利生護国寺=真言律宗・西大寺(奈良)の末寺で、奈良時代の高僧・行基(ぎょうき)が開基した。今は同寺のすぐ前を国道24号が走り、商店や家々も林立、昔日の風景はないが、約50年前には、寺は田畑の中にあって、参拝者は旧・大和街道から長い参道を行来した。境内には豊臣(羽柴)秀吉が高野山へのぼる際、馬をつないだとされる「太閤 駒繋(たいこう こまつな)ぎの松」が残っている。

ツアー募集人数は50人、最少催行人数は10人。定員になり次第締め切られる。参加費は昼食と写経体験代などを含めて1人3000円。雨天の場合6月1日に順延。天候によりコース変更や中止になる場合もある。

畑野・観光協会長は「織田秀信公の終焉の地へは、歴史ロマンを求めて、大勢の観光客が訪れています。皆さんも、ぜひ、その墓所を訪れ、秀信公をしのんでください」とPRしている。

問い合わせ・申し込みは電話(0736・33・3552)。紀和観光案内所(〒648・0085 橋本市岸上369の6)=電話(0736・32・0635)FAX(0736・32・2081)。

写真(上、中)は橋本市向副にある織田秀信公の墓所。写真(下)は国の重要文化財・利生護国寺。


更新日:2014年5月10日 土曜日 00:00

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