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幻の制作者、図案意図?…橋本小の校章の謎を追う
月桂樹(げっけいじゅ)で三菱を囲んだ構図の和歌山県橋本市立橋本小学校の校章。同校の卒業生で日本板画院同人・巽好彦(たつみ・よしひこ)さん(78)は、いまだ不詳の校章の制作年代や、制作意図について調査している。校章は戦国時代に郷土を開基した応其上人の家紋や、奴凧(やっこだこ)の武士紋などをアレンジしたものと推定するが、「もしも、橋本小学校の校章の由来を、少しでも御存じの方は、教えてほしい」と言っている。
橋本小学校は平成25年4月、児童減少により、橋本中学校と小中一貫校となり、2月に〝校舎とのお別れ会〟が開かれた。巽さんはこの時、体育館の舞台の幕にある校章を見て、昭和17年春、自らの入学式にタイムスリップ。ぴっかぴかの制帽を飾っていた校章を思い出した。
その後、校章について調べたところ、橋本小学校が創設された明治6年(1873)には校章はなく、大正12年(1923)の記録写真で、講堂竣工式の垂れ幕に初めて校章が認められたという。しかし、この校章がいつ制作されたか、デザイン考案者は誰か、なぜ月桂樹に囲まれた三菱なのか、についてはわかっていない。
巽さんは独自で調査を進めた結果、月桂樹はギリシャ神話で、「アポロが怪蛇を退治し、月桂樹の葉で身を清めた」という話、ベンツ&カンパニーのエンブレムに月桂樹が図案化されていること、さらに戦国時代、豊臣秀吉の高野山攻めをいさめ、紀の川に橋を架け、塩市を開き、農業用ため池を築造、郷土に貢献した応其上人の家紋の釘抜紋(くぎぬきもん)、奴凧の袖にある釘抜紋などの資料を収集。
「あくまでも推定」としながら、「おそらく作者は大正時代、これらの材料を念頭に置いて、この素晴らしい月桂樹&目結紋(めゆいもん)の校章を図案化したに違いない」と推量。そのうえで、「橋本小学校の校章について、新しい情報を知りたい」と話し、さらに資料探索を続けている。
写真(上)は小中一貫校として昨春、移築・開校した橋本小学校の校章。写真(中)は奴凧の袖に染め抜かれた釘抜紋。写真(下)は応其寺の門の両脇につるされた提灯にある応其上人の家紋。