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高野口小・重文指定近し~26日、講演会や見学会

戦前に建築され、今も使われている和歌山県橋本市高野口町名倉の木造校舎「旧・高野口尋常高等小学校」が、近く国の重要文化財に指定されるのを記念して、1月26日(日)、その「記念式・講演会・校舎見学会」が開かれる。同市内の国宝・重文は、隅田八幡神社の国宝・人物画像鏡(じんぶつがぞうきょう)、重文の利生護国寺(りしょうごこくじ)と三彩の壺(さんさいのつぼ)があり、高野口小校舎は4例目となる。橋本市と市教委は「素晴らしい郷土の歴史的な小学校です。ぜひ見聞しにきてください」と呼びかけている。参加は無料。
同小学校は明治8年(1875)、名倉村の村学として開設され、同44年から高野口尋常高等小学校、昭和22年(1947)に高野口小学校となった。現在の校舎は昭和12年(1937)、JR和歌山線・高野口駅付近から南西約500メートルの現在地に新築・移転した。
校舎は木造建築で、平屋・寄棟造り。例えば空から見ると、校舎棟は南北約100メートルの長大さで、東西に伸びる4棟が「櫛形(くしがた)」に配置され、建築面積は3500平方メートルに及ぶ。その構造も、要所に太い檜柱(ひのきばしら)、筋交(すじか)いを使い、大地震や大型台風などに対し、強固な建造物となっている。
国の文化財審議会は昨年10月、同小校舎について「戦前の木造建築の技術の粋を集めた、歴史的価値の高い建造物」と評価し、「校舎と3か所の校門、校地を囲む石垣」について、重要文化財に指定するよう文部科学相に答申した。橋本市、市教委の話では、近く正式決定され、官報で通知されることになっているという。
同小校舎について、文化庁参事官(建造物担当)の西岡聡・文化財調査官は「月刊 文化財」(平成25年12月号=文化庁文化財部監修)で、学校の構造や時代背景などを詳述するとともに、「このような大型の校舎が成立した背景には、当地の主力産業である織物業が、この時期に隆盛を迎え、人口増加とともに大きな学校が必要となったこと、ちょうどこの時期に市街地を流れる四本の大井川の合流工事が行われ、廃川の跡に広大な土地が確保できたこと、廃川地の売却益を学校の移転予算に加算できたことがある」などと解説。最後に「さまざまな要因が重なって成立した雄大で堅牢な校舎が、建物の価値を守りつつ、現代のニーズに合わせた改修工事を経て、小学校として継承された。七十六年前と同じ校舎が、子どもたちの元気な声に満ちていることにこそ、当校舎の真の魅力がある」と結んでいる。
旧・高野口尋常高等小学校の「重文指定記念式」は、同小学校の屋内運動場で、26日午後1時半~同2時に開催。木下善之市長が挨拶、石橋英和・市議会議長らが来賓祝辞を述べる。この後、記念講演会に移り、摂南大学理工学部建築学科教授で、和歌山大学名誉教授の本多友常(ともつね)氏が、「継承という名の創造行為」という演題で語る。本多氏は、高野口小の改修に際し、地域資源の保存・継承に関する10年以上にわたる支援活動が評価され、一般社団法人・日本建築学会の2013年日本建築学会賞を受賞している。
記念見学会は、同3時~同4時に行われ、専門家3人が解説してくれることになっている。
高野口小学校の井澤清(いざわ・きよし)校長は「普段から、ご年配の方や、遠方の方など、いろんな方々が〝懐かしい〟といって、当小学校を訪れます。子どもの頃の〝廊下の雑巾掛(ぞうきんが)けは、手に刺(とげ)が刺さった〟とか、〝天井に投げた雑巾の跡が、今も残っている〟など、それぞれ思い出はいっぱいです。平日の午後4時~同5時ごろには、可能な限りご覧いただいています」と言っている。
なお、当日好天の場合、運動場に約170台の駐車が可能だが、市教委では「参加人数が把握できないので、なるだけ公共交通機関を利用してください」と呼びかけている。
写真(上)は高野口小学校の正門。写真(中)は同小学校の廊下。写真(下)は同小学校の校庭の一部と渡り廊下。


更新日:2014年1月19日 日曜日 00:08

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