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昭和の橋本!空からパチリ~複線化工事の写真寄贈

南海高野線の複線化工事が、和歌山県橋本市で始まった昭和61年(1986)当時の貴重な航空写真を保管していた同市古佐田の阪口繁昭・元区長(85)は、9月3日、この写真と同市の南海・小原田車庫の航空写真、複線化を祝えテレホンカードの3点を、橋本市郷土資料館に寄贈する。阪口さんは「この写真には、今は遠くなった昭和時代の郷土の風景が、はっきり記録されています。ぜひとも、保存展示してほしい」と言っている。
南海高野線の河内長野駅~橋本駅間の複線化工事は昭和46年(1971)、河内長野駅側から開始。最終工事である橋本市の御幸辻駅~橋本駅間では、同61年5月にやっと着工、平成7年9月に完成した。
沿線の住宅開発、人口増に伴い、通勤通学客が増加、それに伴う輸送力増強が不可欠となり、単線から複線、車両増発が進められた。これに伴い電車の車庫も必要になり、平成8年9月、小原田車庫が建設された。
今回、寄贈する複線化工事の航空写真(昭和61年10月)は、縦40センチ、横50センチのカラー。撮影されている範囲は橋本市東家3丁目、古佐田4丁目周辺。写真では上が北、下が南で、橋本駅の西でJR和歌山線が和歌山駅へ、南海高野線が難波駅へ、だんだんと分かれていく形を撮影。橋本駅周辺の旧・高野街道などの道路や、家々の屋根、高野線やJR線の下を紀の川にそそぐ橋本川、庚申山や県立橋本高校、高野線わきにパワーショベル1台を置いた複線化工事の拠点などが鮮明に写っている。
小原田車庫の航空写真(平成8年10月)は、御幸辻駅~橋本駅間の丘陵地に完成した白い建物と、まだ県立体育館も、京奈和自動車道も、国道371号バイパス工事も行われていない頃の、懐かしい風景がとらえられている。
河内長野駅~橋本駅間の複線化を祝うテレホンカードは、小原田車庫をバックに上下線を走る電車が対向する写真で飾られている。
とくに、単線だった昭和60年代は、橋本駅でも満員状態で、地元の古佐田区は、南海電鉄に対し「一日も早く複線化し、〝通勤通学・地獄〟を解消してほしい」と要望。区民も用地交渉などに協力を惜しまず、長年の悲願が達成された。
昭和60年から平成12年まで古佐田区長を務めた阪口さんは、「航空写真は、工事完成後に現場処分すると聞いて、当時の工事事務所に〝いつか、どんなことに役立つかわからないので〟と訴えたところ、区民のためになるならと譲っていただきました」と説明。「今は、年月を経過するとともに、やはり貴重な郷土の史料写真となりました。橋本市郷土資料館にお話ししたところ、〝貴重なので保存展示したい〟と承諾をいただきました」と喜んでいる。
写真(上)は南海高野線・橋本駅~御幸辻駅間の複線化工事が始まった頃の航空写真。写真(中)は複線化を祝うテレホンカード。写真(下)は小原田車庫が完成した頃の航空写真。


更新日:2013年8月31日 土曜日 09:46

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