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FMはしもと「橋本駅 機銃掃射の記憶」〜11日放送

終戦記念日(15日)を控えて、和歌山県橋本市の「FMはしもと」(向井景子社長)は、8月11日、終戦記念特別番組「橋本駅 機銃掃射の記憶」(1時間半)を放送する。橋本駅では太平洋戦争末期、米軍・空襲により市民6人が犠牲になっていて、中野豊信報道部長は「空襲の目撃証言をまとめました。ぜひ、多くの方々に聞いていただき、悲惨な戦争の記憶を風化させないでほしい」と訴えている。
橋本駅の空襲は、昭和20年(1945)7月24日朝、米軍・艦載機が飛来し、駅舎や停車中の松根油(しょうこんゆ)入りタンクを積んだ貨物列車に機銃掃射。タンクが爆発して、上空に舞い上がり、銃弾を浴びた市民が死傷した。
犠牲者の数さえ不明のまま60数年を経過したが平成23年、「犠牲者を供養しなければ」と、地元住民が「米軍銃撃犠牲者追悼の会」(阪口繁昭世話人代表)を結成。駅のリニューアル工事で、銃弾跡が残る橋本駅・跨線橋が撤去される際、その一部の板壁(家の扉程度の大きさ)を、地元の丸山公園に移設。追悼碑も建立し、今は、同会の調査で判明した犠牲者6人の氏名、年齢を刻んでいる。
今年7月23日には、遺族や橋本高校・吹奏楽部、のぞみハーモニカクラブ、行政、議会関係者ら50人が参列、昨年に続き、第2回目の追悼の集いを開き、犠牲者の冥福と反戦平和を祈った。
「FMはしもと」は、これら追悼の集いの模様をはじめ、同会の阪口代表の〝悲惨な橋本駅・空襲〟に対する率直な思いや、少年時代、橋本駅・空襲を自宅から目撃した元・紀北工業高校教諭の池永恵司さん(82)の記憶など、計10人の目撃証言を録音・編集し、放送することらした。
中野部長は大阪府堺市出身。電機会社で主に東京勤務だったが、25年前から橋本市に在住。定年退職後の今年4月から、開局した「FMはしもと」で活躍している。中野部長は「犠牲者6人のうち、4人は20歳以下でした。あれから68年、ご高齢の方はもちろん、若い人たちも、当時の様子を語る方々の、生の声をお聞きください」と呼びかけている。
「FMはしもと」の放送周波数は81・6メガヘルツ。放送時間は8月11日(日)午前10時〜11時半。再放送は8月18日(日)午後6時半〜同8時。
写真(上)は「FMはしもと」で活躍中の中野部長。写真(中、下)は、今年7月23日の「追悼の集い」の模様。


更新日:2013年8月9日 金曜日 13:06

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